国労バッジ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 10:30 UTC 版)
組合バッジ着用を禁じた就業規則の正当性については、労働委員会・裁判所の判断は事例によって分かれている。道幸哲也は、労働委員会は不当労働行為と見なす傾向があるが、裁判所は組合バッジ着用は職務専念義務に(形式的に)違反するという点でおおむね一致する一方、処分が適切であったかどうかについては見解が分かれていると指摘している。 JR東日本では、国労バッジ着用を続けていた組合員が、就業規則違反を理由に、たびたび減給や勤務停止の処分を受けた。組合員たちは神奈川県地方労働委員会に異議を申し立て、1989年(平成元年)5月15日、地労委はJR東日本の不当労働行為を認定し、処分取り消しの救済命令を出した。地労委は、国鉄時代の職員局次長(葛西敬之)や、JR東日本の常務(松田昌士)ら経営側が、鉄労書記長(鈴木尚之)、全施労委員長、動労委員長(松崎明)などと協力して、不当労働行為を承知の上で国労排除を進めていたことを指摘し、バッジ着用禁止もその一環と認定した。JR東日本は救済命令を不服として、神奈川県地労委を横浜地裁に訴えたが、横浜地裁はJR東日本の全面敗訴の判決を出した。JR東日本は最高裁まで争ったが、1999年(平成11年)11月11日に上告不受理の決定が下され、地労委の救済命令が確定した。 しかしその後もJR東日本は、組合バッジは就業規則違反であるとの姿勢を変えなかった。同様の救済命令は他に3度出されたが、JR東日本はいずれも徹底係争し、また判決を事実上無視した。JR他社も同様で、こうした経営側の姿勢を受け、国労本部は国労バッジ着用の奨励を止めた。その結果、2007年(平成19年)現在で、JR東日本で国労バッジを付け続けた組合員は一人だけとなっていた。この組合員も、服装整正違反を理由に勤務停止および減給処分を受け、また定年退職後のエルダー社員制度(定年退職者再雇用制度)の適用は受けられないと告げられた。そこでこの組合員は神奈川県地労委に救済を申し立て、2010年(平成22年)1月26日、神奈川県地労委はJR東日本の不当労働行為を認定し、救済命令を出した。ただし、組合員の謝罪文要求は却下した。その結果組合員は、定年後再雇用となったが、JR東日本は中労委に異議申し立てを行った。この間に、組合員は交通事故で死去し、その未亡人が訴訟を引き継いだ。2011年1月12日の中労委決定では、就業規則違反を理由として処分を行うことは「不相当であるとはいえない」とした。一方で、違反の程度に比べて処分は重く、就業規則違反に藉口して国労内少数派を嫌悪したことが真の意図であると認定し、不当労働行為は成立するとしてJR東日本の異議申し立てを退けた。ただし、組合員の死去を理由に、再雇用についてはもはや訴えの利益がなくなったとして救済命令を取り消した。JR東日本は救済命令を不服として、中労委を東京地裁に訴えた。2012年11月7日東京地裁(白石哲裁判長)は救済命令を全て取り消し、JR東日本の全面勝訴の判決を出した。未亡人・労働委員会側は東京高裁に控訴し、現在も係争中である。 一方、JR西日本の例では、京都府労働委員会は、逆に着用禁止を正当とする裁定を出した。2006(平成18年)年度より国労バッジを着用していた組合員が、就業規則違反を理由に訓告、減給処分を受け、昇給は5段階で最低のD評価とされた。そこでこの組合員は、京都府地労委に救済申し立てを行った。2010年(平成22年)、京都府地労委は、就業規則は合理的であり、また処分内容も違反の程度に比べ重いとは言えないこと。国労本部が既にバッジ着用の奨励を中止しており、組合の意向に従ったためとも言えないこと。3組合が存在する同社において、国労バッジの着用は組合間の対立を煽るものであること。バッジ以外の就業態度にも問題があるとした会社側の主張は事実と認められること。以上を理由に、着用禁止は正当とした。組合員は中労委に異議申し立てをしたが、2012年(平成24年)3月7日棄却された。
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