四面庇付大型掘立柱建物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:45 UTC 版)
「城之越遺跡」の記事における「四面庇付大型掘立柱建物」の解説
四面庇付大型掘立柱建物は、大溝祭祀遺構とともに城之越遺跡を特徴づける遺構であり、A地区・B地区で各2棟が検出されている。 A地区では、大溝祭祀遺構の東約100メートルにおいて東西2棟が検出されている。いずれも母屋は2間×2間で、庇を含めると一方は5間×4間で他方は4間×4間である。営造時期は古墳時代中期の5世紀前半頃と推定され、時期・位置から大溝祭祀遺構とセットで使用されたと見られる。 B地区では、丘陵斜面地上で東西2棟が検出されている。柱筋を揃えて東西に並んでおり、いずれも母屋は2間×2間で、庇を含めると5間×4間である。東側建物が一回り大きく、A地区の西側建物(大きい方の建物)とほぼ同形同大になる。付近は遺跡を取り巻く小河川(北川)が谷から盆地へ出る水分の地であることから、それに関わる祭祀用施設と推測される。 城之越遺跡で検出された四面庇付掘立柱建物4棟は、古墳時代の大型建物のうちでも非常に規模が大きく、豪族居館が検出されている三ツ寺I遺跡(群馬県高崎市)の主屋建物と外郭線がほぼ同大であることから、祭祀主体の有力性が指摘される。これらの4棟を豪族居館と捉える説もあるが、豪族居館であれば伴うべき区画施設が認められていないことから、首長層によって造成された大規模祭祀場と捉える説も挙げられている。
※この「四面庇付大型掘立柱建物」の解説は、「城之越遺跡」の解説の一部です。
「四面庇付大型掘立柱建物」を含む「城之越遺跡」の記事については、「城之越遺跡」の概要を参照ください。
- 四面庇付大型掘立柱建物のページへのリンク