四条河原町阪急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 07:54 UTC 版)
四条河原町阪急(しじょうかわらまちはんきゅう)は、かつて京都府京都市下京区にあった阪急阪神百貨店運営の百貨店である。1976年(昭和51年)10月15日に開店し[1]、2010年(平成22年)8月22日に閉店した[3]。
注釈
出典
- ^ a b 50年史編集委員会『株式会社阪急百貨店50年史』阪急百貨店、1998年4月。
- ^ a b c “四条河原町阪急、閉店日を前倒し”. 読売新聞 (読売新聞社). (2010年5月12日)
- ^ a b c “四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2010年8月23日)
- ^ a b 阪急百貨店 第87期有価証券報告書 (Report). 阪急百貨店. 28 June 2006.
- ^ “百貨店業界、景気後退に拍車で閉店増”. 商業施設新聞 (産業タイムズ社). (2010年4月13日)
- ^ a b c d e f 井岡秀行 (2010年1月29日). “河原町阪急 好立地でも撤退…不況で客離れ深刻”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ^ a b “丸井 来春の京都出店 正式発表”. 産経新聞 (産経新聞社). (2010年8月11日)
- ^ a b 植田憲尚 (2010年1月28日). “四条河原町阪急:今秋に閉店…京都”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “「丸物さよならバーゲン」の一日拝見”. 京都新聞 (夕刊) (京都新聞社): p. 3. (1977年5月24日)
- ^ 田中美保 (2010年1月28日). “京都・四条河原町阪急も閉店へ 苦境の百貨店業界”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ^ a b “終わらぬ既存店改革 阪急阪神百貨店「四条河原町阪急」あす閉店”. 産経新聞 (産経新聞社). (2010年8月21日)
- ^ 西井由比子 (2010年3月3日). “瀬戸際の百貨店(1)相次ぐ閉店「選択と集中」都市部に”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ “「京都マルイ」オープン 四条河原町 再生担う”. 産経新聞 (産経新聞社). (2011年4月27日)
- ^ “京滋経済この1年 緩やかな景気拡大の中で(4)出店”. 京都新聞 (京都新聞社). (2007年12月26日)
- ^ 阪急百貨店 第86期営業報告書 (Report). 阪急百貨店. 29 June 2005.
- ^ 阪急百貨店 第88期営業報告書 (Report). 阪急百貨店. 29 June 2007.
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第89期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2008.
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第90期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2009.
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第91期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2010.
- ^ “丸井、京阪電鉄が名乗り 河原町阪急の後継テナント”. 四国新聞 (四国新聞社). (2010年6月24日)
- ^ “京都・四条「再び主役に」丸井など進出、活性化へ商店街結束”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2010年8月21日)
- ^ 遠藤和希、松川希実、堀田浩一 (2011年4月28日). “京都マルイ開業、新たな「顔」期待 四条河原町”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ^ “京都マルイ、来年5月で撤退 四条河原町の商業施設 「阪急」後継ぐも…”. 京都新聞. (2019年11月1日) 2019年11月2日閲覧。
- ^ 株式会社ロジスティクス・パートナー. “京都マルイ跡地/「京都河原町ガーデン」4月下旬開業、核店舗にエディオン”. 流通ニュース. 2021年5月8日閲覧。
- ^ 阪急百貨店 50年史 p.185
- 1 四条河原町阪急とは
- 2 四条河原町阪急の概要
- 3 概要
- 4 世界地図
四条河原町阪急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:50 UTC 版)
詳細は「四条河原町阪急」を参照 1976年(昭和51年)10月15日に開業した阪急京都本線河原町駅に直結するターミナル百貨店。売場面積が広くなく、大丸・髙島屋といった近隣の老舗百貨店との差別化を図るため、デザイナーズブランドを中心とした若者向けのファッションに特化した店舗展開を行った。 ピーク時の1991年は売上高約171億円を上げていた。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ、業績が低迷した。 業績の改善を目指して2000年以降に2度の大規模な改装を行ったり、2007年(平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際、共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図ったが、京都駅周辺との競争の激化やファストファッションなどの低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」などの影響により売上高の減少に歯止めがかからず赤字が続き、小規模な店舗で鉄道の乗降客数に大きく影響するほどの集客力を持たないことから、2010年11月末のビルを所有する住友不動産との賃貸契約が切れる前の同年8月22日に閉店した。 当店閉店後の跡地には、2011年4月27日に京都マルイが開業したが、これも2020年5月12日に閉店した。
※この「四条河原町阪急」の解説は、「阪急百貨店」の解説の一部です。
「四条河原町阪急」を含む「阪急百貨店」の記事については、「阪急百貨店」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 四条河原町阪急のページへのリンク