古琉球
古琉球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:02 UTC 版)
グスク時代の遺跡は7カ所確認されている。このうち東南の段丘崖にあるマヤーアブ洞穴遺跡は現在でも聖地として信仰されているが、宇佐浜式土器や中国製の磁器が出土している。真志喜大川原第1遺跡からは、唐の貨幣である開元通宝が3枚出土している。開元通宝はこの遺跡以外にも鹿児島県徳之島の面縄遺跡、嘉手納町野国遺跡、石垣島の先枝赤崎遺跡などから出土している。また台湾からも出土している。このように広範囲にわたって出土していることから、遣唐使がこの地に漂着してこの貨幣を伝えたとする通説に対して、中国と南西諸島の直接交流によってももたらされたと考えるべきだとする説がある。また真志喜森川原(むいかーばる)遺跡からは14世紀ごろの高床建物群が何度も建て替えられた跡が出土した。この遺跡が、この地に森の川伝承の残る中山王察度の父奥間大親の屋敷であったと考える説がある。 文献時代である古琉球の時代には、真志喜に関する文献は残っていない。
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古琉球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 00:37 UTC 版)
沖縄県における農耕の痕跡のうち最古のものは紀元前8世紀頃のものだが、本格的な農耕社会が成立したのは12世紀頃だとされている。農耕社会が成立してから、島津氏の侵攻(1609年)までを「古琉球」と呼ぶ。
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