赤崎
赤崎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 01:09 UTC 版)
赤崎(あかざき)、元浜町(もとはまちょう)、阿津(あつ)、菰池(こもいけ)、駅前の一部からなり、現在の赤崎小学校区に相当する 江戸時代には児島郡赤崎村を名乗り、枝村として阿津・菰池があり、ともに『吉備温故』に記録がある。味野同様に古くから製塩が盛んで、大規模な塩田が存在した。 特に阿津には塩田が多く、一足先に製塩業が発達した播磨国の赤穂の地からの移住者が、当地の遠浅の浜辺を活用して塩田を開いたとの伝説がある。それに関連して「赤穂井戸」という名の大井戸が現存している。当地には「富田屋」という大庄屋がおり、寛文年間にはすでに多くの塩田が開発され、千石級の塩積船を十数隻所有し交易が行われていた。また、のち近代になっても阿津には塩田持ちの家が多かった。 明治になると、赤崎村(枝村の阿津含む)と菰池村により赤崎村を新設し、役場が赤崎の字札場に置かれた。大正期の下津井軽便鉄道が開業すると、同地には赤崎駅が設置された。その後、近代化とともに製塩業は衰退し、第二次代戦後には殆どの塩田は廃業となった。廃田跡は埋め立てられて、元浜町と名乗り味野から続く市街地が形成された。またこの地には児島競艇場が造成された。 また製塩業の衰えとともに商業の他、近場の琴浦や児島で起こった被服系の中小工場も増えた。 その後、赤崎町に改称し、味野町、児島市を経て現行の倉敷市を新設し、現在に至る。近代は宅地化が進展し、新興住宅地が増え、人口が増大した。また、昭和63年(1988年)には瀬戸大橋開通に伴い、同地内に児島インターチェンジが設定された。
※この「赤崎」の解説は、「味野」の解説の一部です。
「赤崎」を含む「味野」の記事については、「味野」の概要を参照ください。
赤崎(二等兵)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 07:40 UTC 版)
丸山の戦友。入隊前に汽車で一緒になって以来の仲。バイエンの戦闘で戦死する。やはり実在の人物がモデルとなっている。
※この「赤崎(二等兵)」の解説は、「総員玉砕せよ!」の解説の一部です。
「赤崎(二等兵)」を含む「総員玉砕せよ!」の記事については、「総員玉砕せよ!」の概要を参照ください。
- >> 「赤崎」を含む用語の索引
- 赤崎のページへのリンク