南方貨物線とは? わかりやすく解説

南方貨物線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 16:58 UTC 版)

南方貨物線(なんぽうかもつせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が愛知県内で東海道本線大府駅 - 名古屋駅間)の複線線増(複々線化)として建設していた貨物支線(延長:約26.1 km[1]。本項目では主に、未成区間となった大府駅 - 笠寺駅 - 名古屋貨物ターミナル駅間(約19.5 km)[1]について解説する。


注釈

  1. ^ 写真の高架橋は名古屋市熱田区五番町3番地にあった(現在は撤去済み)。
  2. ^ a b c d 八田貨物駅(現:名古屋貨物ターミナル駅)は1968年3月に着工[47]。同年から用地買収が開始され、1972年から本体工事に着手、1980年10月に「名古屋貨物ターミナル駅」として開業した[41]
  3. ^ a b c d 国鉄清算事業団は1998年(平成10年)10月22日に解散し、同事業団が保有していた資産は日本鉄道建設公団に継承されたが、同公団は2003年(平成15年)10月1日に運輸施設整備事業団と統合され、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 (JRTT) となった。
  4. ^ a b 南郊運河(延長約0.2 km)は中川運河の横堀(支流[2]。水運の減少によって一部が埋め立てられ、埋立地の一部は南郊公園など緑地として活用されている[2]
  5. ^ a b c d e 名古屋貨物ターミナル駅構内では、南方貨物線の下り線から線路2本が分岐し、関西本線(四日市亀山方面)へ向かう連絡線となる計画だった[24][25]。この連絡線が完成していた場合、関西本線と西名古屋港線のデルタ線が形成されることとなっており[26]、中川区内(〈名古屋貨物ターミナル方面〉万町 - 柳森町八田駅方面〉)に両線を結ぶ円弧状の用地(および側道)が確保されていた[27]。しかし、その計画も未成に終わっており、用地は住宅用地として売却されている[26]
  6. ^ a b 岐阜工事局 (1970) によれば八田・名古屋間は約5.7 km[6]
  7. ^ a b c d e f 西名古屋港線は後に旅客線として整備され、2004年(平成16年)10月6日に名古屋 - 金城ふ頭間(営業キロ15.2 km)が名古屋臨海高速鉄道あおなみ線(通称「あおなみ線」)として旅客開業した[73]
  8. ^ a b c d 「稲沢線」は東海道本線の名古屋・稲沢間に敷設された貨物列車専用の複線[4]1925年大正14年)に単線で開業し、1936年(昭和11年)に複線化(東海道本線の名古屋 - 稲沢間が複々線化)された[5][4]
  9. ^ a b c 西名古屋港線(現:あおなみ線)は南方貨物線との接続を想定し、1983年に名古屋貨物ターミナル駅 - 東海通(現在の港北駅付近)間(約3.4 km)を高架化しており[116](一部はスラブ軌道化された)[108]、名古屋貨物ターミナル - 名古屋間(約3.9 km)は1998年時点で一部区間を除き、高架化・複線化が完了していた[117]。また、JR貨物の負担(運輸施設整備事業団の認定事業)により[117]、1998年3月30日には名古屋貨物ターミナル - 名古屋間が電化されていた[118]。一方、荒子駅付近以南の西名古屋港線(貨物本線・現在の金城ふ頭駅方面)は2001年時点でも単線だったが、西名古屋港線は旅客化(2004年に開業)に当たり、最終的に名古屋 - (名古屋貨物ターミナル方面への分岐点) - 金城ふ頭間の全線が複線化された[119]
  10. ^ また、第3次愛知県地方計画 (1970) では「名古屋都市圏の通勤通学需要の増大と、名古屋 - 北陸、名古屋 - 高山方面への都市間および観光輸送が急速に増大しつつあるため、昭和53年度(1978年度)までに稲沢 - 米原間の複々線化を進め、客貨分離による輸送力の増大を図る。」と計画されていた[9]
  11. ^ a b c 鉄道による貨物輸送は、中長距離・大量輸送の分野で高い効率性を有してはいたが、高度経済成長による産業構造の変化により、石炭から石油へのエネルギーの転換や、それに伴う石炭・木材などの一次産品の(輸送量の)減少(および、ロットの小さい金属機械工業品などの二次産品の輸送需要増大)や、輸送距離の短距離化(コンビナートを中心とする産業立地の変化)といった現象が発生した[11]。加えて、高速道路網の整備も相まって、次第に機動性・迅速性などに優れるトラックによる貨物輸送が主流になっていき、鉄道による貨物輸送量は大幅に減少した[11]。また、1975年度(昭和50年度)時点では景気の低迷に伴う国内貨物輸送需要の低迷に加え、(国鉄の)争議行為、台風・雪害などによる輸送障害も、鉄道貨物需要の低迷の原因として挙げられていた[12]
  12. ^ 鉄道による輸送は旅客・貨物とも、終戦直後に急増し、それ以降も1970年代まではほぼ漸増傾向にあった[15]
  13. ^ a b 笹島駅(広さ160,000 m2)は名古屋地区貨物駅の中心的役割を果たしてきたが、周囲を東海道本線・関西本線・中川運河に挟まれており、狭隘だった[20]。1968年(昭和43年)10月にはコンテナ取扱設備を増強したが[20]、1980年に名古屋貨物ターミナル駅(コンテナ基地)が開業して以降は車扱貨物主体の駅となり[13]、1986年(昭和61年)11月1日に廃止された[20](跡地はグローバルゲートとして再開発済み)。
  14. ^ a b c d e f 南方貨物線と名古屋港線の交点の南西には、名古屋港線(名古屋港駅方面) - 南方貨物線(名古屋貨物ターミナル駅・笹島駅方面)を連絡する単線の短絡線が建設されていたが、南方貨物線とともに途中で建設が放棄されている[113]
  15. ^ その後、岡多線(岡崎 - 瀬戸市間)および瀬戸線(瀬戸市 - 高蔵寺間)は愛知環状鉄道線として、瀬戸線(勝川 - 枇杷島間)は東海交通事業城北線として、それぞれ開業している[28]。一方、瀬戸線のうち中央線に並行する区間(高蔵寺 - 勝川間)は建設されず、買収済みだった敷地は国鉄清算事業団に譲渡され[29]、1999年度 - 2001年度にかけて売却された[30]。また、瀬戸線(城北線)の小田井駅 - 稲沢間の貨物線も未成に終わり、こちらも買収済みだった敷地は住宅用地として売却された[29]
  16. ^ 大阪府兵庫県内にある東海道本線の貨物支線「北方貨物線」(吹田貨物ターミナル - 尼崎間)とは別物。
  17. ^ 岐阜工事局 (1970) によれば大府・笠寺間は約12.5 km[32]
  18. ^ 名古屋駅経由ルートを採用した場合、名古屋駅の構内に無理が生じるほか、瀬戸線の名古屋駅乗り入れにも問題が生じることが懸念されていた[32]
  19. ^ 同所は1962年(昭和37年)6月末、国鉄関係方面へ南方貨物線の建設工期短縮について、地元関係者の熱望に応えるよう要望していた[45]
  20. ^ 当時、稲沢操車場の能力は限界に来ており、貨物輸送力の増強が求められていた[45]
  21. ^ 愛知県 (1973) によれば、南方貨物線の建設+八田貨物駅(名古屋貨物ターミナル駅)の建設による総事業費は約390億円[47]
  22. ^ 1983年の工事凍結時点までに費やされた300億円はすべて借金(金利年約20億円)で賄われた[48]
  23. ^ 愛知県 (1973) によれば、南方貨物線・八田貨物駅ともに1976年(昭和51年)3月の完成を予定していた[47]
  24. ^ 東海道新幹線との並行区間(約2.9 km)は豊田学区明治学区(以上いずれも南区)・千年学区(熱田区)に当たり、山崎川を越えた地点(大府駅から11.4 km地点)を起点に、新幹線豊代架道橋(同12 km地点)の下をくぐり、14.3 km地点(千年地区と船方地区の境)までである[50]。特に、豊代架道橋をくぐってから西方14.3 km地点までは、新幹線と完全に並行し、両線間に隙間がない状態だった[50]
  25. ^ 1972年時点では杉戸清(第20 - 22代)が名古屋市長を務めていた。
  26. ^ a b 明治小学校は1967年ごろ、貨物線の建設に協力する形で2,800万円で校地の一部を旧国鉄に売却したが、後に名古屋市会議員・横井利明がJRTT側に「明治小に土地を返してほしい」と要請[101]。土地は名古屋市教育委員会により[100]、3,600万円(坪10万円)で買い戻された[101]
  27. ^ 名古屋市 (1998) では「工事中断時期は1973年(昭和48年)5月以降」とされている[41]。名古屋新幹線訴訟の第一審判決[名古屋地裁民事第4部・1980年9月11日宣告/事件番号:昭和49年(ワ)第641号]によれば、同年時点で南方貨物線は大府 - 笠寺間と、新幹線との並行区間(約2.9 km)を過ぎて八田(現:名古屋貨物ターミナル)まで入るところの路盤工事が完了していた一方、並行区間で用地買収未了区間(5件)があった[50]
  28. ^ a b 1973年9月および1980年1月時点では本山政雄(第23 - 25代)が名古屋市長を務めていた。
  29. ^ 1973年9月時点では第6代・磯崎叡(同月21日まで)および第7代・藤井松太郎(22日以降)。
  30. ^ 新幹線との並行区間(約2.9 km)では騒音対策のため、国鉄が緩衝地帯となしうるような土地を確保するため、南方貨物線の線路外側から20 mの範囲の土地を買い上げた[50]
  31. ^ また、名古屋市は1974年6月に改めて「住民の理解と納得を得るまで工事再開を見合わせてほしい」と要望している[52]
  32. ^ 会計監査院は1977年度(昭和52年度)決算検査報告で、当路線について「建設費は184億円、開通時期は1971年10月」と報告していたが、1978年(昭和53年)9月には「建設費357.8億円、開通見込みは1982年(昭和57年)10月」と、建設費が大幅に増え、完成予定も大幅に遅れた[53][8]
  33. ^ 公害防止協定の締結、緩衝地帯の設置、新幹線公害訴訟で係争されていた(騒音・振動に関する)差止請求値の遵守など[49]。1975年(昭和50年)5月には当時の「名古屋新幹線公害対策同盟連合会」会長・「名古屋新幹線公害訴訟原告団」団長や、「南方貨物線公害追放会」会長を務めていた千草恒男が、南方貨物線の建設・公害防止をめぐり、16項目にわたって国鉄と協定を結ぼうとしたが、その協定内容と、内部での合意形成が不十分である点を問題視した他の原告団リーダーや弁護団がその判断を問題視[49]。批判を受けた千草は連合会・原告団の代表を辞任することとなった[54]
  34. ^ アセスメント書では「今後も騒音提言のための技術開発に努める」「開業前には運行計画などについて名古屋市へ提出する」などの旨が表明されていた[57]
  35. ^ 名古屋市 (1998) では工事再開時期は1978年(昭和53年)とされている[41]
  36. ^ 同閣議決定後、「緊急を要するもの」として停止されなかった設備投資は、安全投資のほか、東北新幹線大宮以南の工事、通勤新線の工事など[60]
  37. ^ 1961年度(昭和36年度)の大府 - 名古屋間は旅客輸送実績が98,173人/日キロ、貨物輸送実績が59,564トン/日キロだった一方、1982年度(昭和57年度、4月 - 9月)には前者が60,072人/日キロ(1961年度の61%)、後者も29,674トン/日キロ(1961年度の50%)に落ち込んでいた[62]
  38. ^ 路盤の未完成部分は約500 m[64]
  39. ^ 一方、架橋が後回しになった道路上などの跨線橋は完成しておらず、高架橋がぶつ切れになっている区間もあった[65]
  40. ^ 当時『読売新聞』の取材に対し、北井良吉・国鉄開発工事課長は「着工から20年近く経過しても未完成なのは残念だが、国鉄を取り巻く諸情勢が変化して国の方針で建設が中止されたことも理解していただきたい。巨費を投じて鉄道路線として建設した以上、将来的にはぜひ鉄道路線として利用したいと願っている」とコメントしていた[48]
  41. ^ 日本放送協会 (NHK) 解説委員だった藤吉洋一郎は、1992年に放送されたNHKの番組で「南方貨物線を当初計画通り整備する必要がある。さらに東京 - 大阪間に貨物専用線を新たに敷くと、(南方貨物線の整備と併せて)2兆円を超す経費がかかるが、貨物列車がその分増発でき、トラックから輸送転換ができる」と訴えていた[76]
  42. ^ 当時、西濃運輸会長の田口利夫は「関係機関へなんとか完成を働き掛けたい」と述べていた[66]ほか、経団連物流部会の江里正義会長(当時:センコー会長)も1993年3月5日に名古屋市内で地元経済人らと懇談し、南方貨物線を視察した際に「(南方貨物線が未完成のまま)放置されているのは国家的損失。地元も挙げて(開業に向けて)取り組むべきだ」という認識を示していた[75]。また、藤田素弘(名古屋工業大学社会開発工学科講師)も1995年に「三大都市圏のうち、名古屋だけ貨物列車の専用迂回線が都市部にない。南方貨物線を建設して名古屋地区の(線路)容量不足を解消し、貨物のモーダルシフトが滞らないように配慮すべきだ」と指摘していた[79]
  43. ^ 大府駅 - 名古屋駅間は既設線経由で19.5 km、南方貨物線経由で26.1 kmと[1]、南方貨物線経由は遠回りである[80]上、名古屋地区第二のターミナル駅である金山駅を経由しない。
  44. ^ JR東海・須田社長は1992年6月4日に開かれた「名古屋圏交通網整備推進協議会」の会合で、「南方貨物線の貨物路線化・旅客化は直ちに必要ではない」と報告した[83]
  45. ^ JR貨物は仮に南方貨物線が開業した場合、同線を利用して貨物列車を運行することが想定されていたが、「開業に必要な建設費は我々ではとても負担できない」という反応を示していた[66]
  46. ^ 名古屋市南区氷室地区に南方貨物線と名鉄常滑線道徳駅を連絡する短絡線を敷設し、JR名古屋駅から中部国際空港へ向かう列車を運行する構想や[13]、南方貨物線および笠寺駅で接続する名古屋臨海鉄道の路線(東港線南港線)を経由し、新舞子駅知多市)付近で名鉄常滑線に直通する案など[64]
  47. ^ 1998年10月、名古屋臨海高速鉄道(西名古屋港線の旅客化後の運営主体)が西名古屋港線の旅客化に伴い、南方貨物線の用地の一部を購入することを希望したため、清算事業団は2000年度(平成12年度)に約0.2 haを処分した[1]
  48. ^ 1999年(平成11年)8月に国鉄清算事業本部長に就任した宮﨑達彦は[86]、「自分が南方貨物線を視察した際、完成済みの高架橋から偶然コンクリートが落ち、(高架下の)駐車場に駐めてある車を壊していたことがあった。当時、新幹線のトンネルで天井からコンクリートが落下する事故があり、『人身事故でも起こすと大変なことになる。鉄道として使うか否かを早く決めなければならない』と思った」と述べている[87]
  49. ^ 利用方法としては鉄道路線としての活用のほか、高架橋を整備し直して新交通システム路線・サイクリングロードなどとして活用する案もあった[89]
  50. ^ 国鉄清算事業本部は2000年に改めてJR東海・JR貨物両社に引き受けを打診したが、いずれも拒否され、翌2001年(平成13年)5月には愛知県・名古屋市両者にも活用案を断られた[90]
  51. ^ a b JRTTは当初、高架橋などの全ての撤去費用を約300億円と試算したが、2008年に「高架橋付土地売却を積極的に進めた結果、約100億円の経費が削減される見込み」と報告している[92]
  52. ^ 2002年3月27日に成立した国の新年度当初予算で、2002年度分の撤去費用として46億円が計上された[71]
  53. ^ 撤去工事を行う箇所は構造物付での処分が困難だったり、剥離されている箇所[88]。一部高架橋が著しく劣化していた箇所については、2002年12月 - 2003年(平成15年)5月にかけて撤去工事を実施した[85]。また、河川橋梁・道路上の跨線橋も撤去することとなり[95]、山崎川橋梁は2003年5月 - 2004年(平成16年)3月中旬までに上部工(PC桁スパン27 m)を撤去した[96]
  54. ^ 河川上に架かった橋梁の撤去費用を除く[97]
  55. ^ 梅田貨物駅の吹田地区への全面移転計画[98]。2013年(平成25年)3月16日に吹田貨物ターミナル駅が正式開業し、梅田貨物駅は同月31日限りで廃止された[99]
  56. ^ 不用橋梁の撤去[102]、高架橋補修・軌道撤去などの工事[103]
  57. ^ 東海道新幹線と並行する区間(約3 km)における高架橋の基礎杭の基本的構造は、東海道新幹線が長さ6 m・直径0.35 mだった一方、南方貨物線は新幹線より列車比重の重い貨物列車を走行させるため、それに耐えうる長さ30 m(地下30 m付近の砂礫層に達する長さ)・直径1.2 mで設計されていた[107]
  58. ^ 東海道新幹線の堀川橋梁
  59. ^ 南方貨物線下り線の高架路盤は、西名古屋港線の高架線の直上に設置されるよう設計されていたが、建設途中で放置された[116]
  60. ^ NTT名古屋グランド(名古屋市港区南十番町一丁目)[122]NTT西日本名古屋野球クラブ(2002年解散)の本拠地球場として利用されていた。2004年9月に更地化された[123]
  61. ^ 「マックスバリュ 南十番町店」および「コーナン南十番町店」の所在地はいずれも「名古屋市港区南十番町一丁目1番1号」[124][125]
  62. ^ 下り線の待避線(3番線)として利用されている[128]
  63. ^ 駅構内の側線の一部[128]
  64. ^ 1978年(昭和53年)7月まで[120]
  65. ^ ただし、この区間は速度制限はなく、120 km/hで走行できる。
  66. ^ 大府駅の武豊線との接続部は1976年(昭和51年)7月から供用開始[13]。1999年(平成11年)に武豊線の名古屋直通列車が大幅に増発されたことにより、この立体交差が真価を発揮するようになった[128]
  67. ^ 上り線は鉄板で耐震補強してあるが、下り線は当初から耐震基準に沿った高架橋のため、鉄板がない。

出典

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