北畠顕家からの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
詳細は「北畠顕家上奏文」を参照 北畠親房の子である南朝公卿・鎮守府大将軍の北畠顕家もまた、後醍醐天皇へ上奏した『北畠顕家上奏文』(延元3年/暦応元年5月15日(1338年6月3日))で、後醍醐への批評を残している。7条しか残存しないためその全容は明らかではないが、少なくとも残る箇所に関しては後醍醐天皇の政治への実質的な全否定である。 この諫奏状は、陸奥国司として奥州平定に苦心した顕家自身が奥州の地で苦労して学び、見聞きしたことに基づき、血の滲むような厳しい批判を展開している。 現存する7条を要約すると、「首都一極集中を止め地方分権を推進し各方面に半独立の大将を置くこと」「租税を下げ贅沢を止めること」「恩賞として官位を与える新政策の停止」「公卿・殿上人・仏僧への恩恵は天皇個人への忠誠心ではなく職務への忠誠心によって公平に配分すること」「たとえ京都を奪還できたとしても行幸・酒宴は控えること」「法令改革の頻度を下げること」「佞臣の排除」といったものになる。現存第1条は、後醍醐天皇の全国支配の統治機構に言及したものとして特に注目できる。また、残る6条のうちの半数が、人事政策への不満に集中していることも特徴である。 佐藤進一は、同時代人からの評価を知る上で『二条河原の落書』と並ぶ重要史料とし、後醍醐天皇を独裁的君主とする自身の説から、顕家の建武政権批判に原則的に同意した。
※この「北畠顕家からの評価」の解説は、「後醍醐天皇」の解説の一部です。
「北畠顕家からの評価」を含む「後醍醐天皇」の記事については、「後醍醐天皇」の概要を参照ください。
- 北畠顕家からの評価のページへのリンク