北畠親房とは? わかりやすく解説

きたばたけ‐ちかふさ【北畠親房】

読み方:きたばたけちかふさ

[1293〜1354]南北朝時代公卿武将後醍醐天皇皇子世良(ときなが)親王養育あたったが、その死によって出家宗玄、のち、覚空と号した建武の中興により、再び出仕。顕家とともに義良(のりなが)親王奉じて東国下向企て常陸(ひたち)に上陸結城親朝らを誘致しようとしたが成功せず、のち吉野帰った以後南朝方の政治・軍事中心人物として活躍学識深く著書に「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」「職原鈔(しょくげんしょう)」など。北畠准后


北畠親房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 13:10 UTC 版)

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代公卿歴史家。著書の『神皇正統記』で名高い。源氏長者南朝従一位准大臣准三后。贈正一位後醍醐天皇側近「後の三房」の筆頭。後村上天皇の治世下でも、興国5年/康永3年(1344年)春に吉野行宮に帰還してから、正平9年/文和3年4月17日1354年5月10日)に没するまで、南朝を実質的に指揮した。建武の元勲の1人。




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