陸奥国司とは? わかりやすく解説

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陸奥国司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:21 UTC 版)

陸奥国司(むつこくし)は、陸奥国国司のことである。701年から775年までは、陸奥、陸奥、陸奥大、陸奥少掾、陸奥大、陸奥少目の各1人を定員とした。775年に小目が2人に増えた。


注釈

  1. ^ 『令集解』所収の古記による。高橋崇『律令国家東北史の研究』32頁。
  2. ^ 西暦  和暦  陸奥守 出典 1142 康治二年 藤原師綱 本朝世紀 1142 康治二年 藤原基成 本朝世紀 1149 久安五年 藤原兼忠 兵範記 1153 仁平三年 藤原隆親 兵範記 1157 保元二年 円 信説 兵範記 1157 保元二年 藤原雅隆 兵範記 1158 保元三年 源 国雅 兵範記 1162 長寛元年 藤原長光 長寛勘文 1168 仁安三年 藤原成房 兵範記 1176 安元二年 藤原範季 1180 治承四年 藤原実雅 玉葉 1181 養和元年 藤原秀衡 玉葉 1184 元暦元年 藤原宗長 1185 文治元年 藤原盛実 吉記 1185 文治元年 源 兼忠 吾妻鏡 1185 文治元年 源 雅頼 吾妻鏡 1192 建久三年 藤原朝房 吾妻鏡 1192 建久三年 源 師信 吾妻鏡 1205 元久二年 藤原懐信 明月記 1207 承元元年 中原師公 明月記 1216 健保四年 大江広元 尊卑分脈 1217 健保五年 平(北条)義時 吾妻鏡 1224 元仁元年 足利義氏 大日本史国郡司表 1230 寛喜二年 三善長衡 鎌倉遺文 1231 寛喜三年 藤原頼経 明月記 1238 歴仁元年 (欠姓)宗基 玉蘂 1248 宝治二年 橘 (欠名) 鎌倉遺文 1250 建長二年 平(北条)重時 鎌倉年代記 1256 康元元年 平(北条)政村 鎌倉年代記 1264 文永元年 平(大仏)宣時 鎌倉遺文 1267 文永四年 平(北条)時茂 鎌倉年代記 1271 文永八年 平(北条)時村 鎌倉年代記 1282 弘安五年 藤原(安達)泰盛 勘仲記 1287 弘安七年 平(北条)業時 鎌倉年代記 1289 正応二年 平(大仏)宣時 鎌倉年代記 1301 正安三年 平(大仏)宗宣 鎌倉年代記 1312 正和元年 平(大仏)維貞 鎌倉年代記 1331 元弘元年 平(大仏)貞直 花園天皇宸記 1332 元弘三年 源(北畠)顕家 公卿補任 1334 建武元年 源(北畠)顕家
  3. ^ 毛利氏は陸奥守だった大江広元の末裔である。
  4. ^ 『続日本紀』の同日条は蝦夷が按察使上毛野朝臣広人を殺したと陸奥国が奏言した記事で、陸奥守とは書かれておらず、この日付が死亡日とも限らない。この時期の按察使は管内の大きな国の守が兼任したので、広人も陸奥守の兼任と推定する。高橋崇『律令国家東北史の研究』27-28頁。
  5. ^ 養老3年(724年)頃から陸奥国の軍事・行政を統括し、鎮守将軍、陸奥按察使などを歴任した。虎尾俊哉が陸奥守の兼任を推定する(『古代東北と律令法』73-74頁)。
  6. ^ 『続日本紀』の日付は4月己酉(28日)だが、誤りがあるらしい(新古典文学大系版『続日本紀』第3分冊24頁脚注1、林陸朗『完訳注釈続日本紀』第3分冊13頁注5)。乙酉(4日)の誤りとする新古典文学大系版に従う。『公卿補任』天平20年条には4月とだけある。年足はこの月の22日に正五位上(続日本紀)。
  7. ^ 宮内卿に任官。
  8. ^ 『続日本紀』には従五位下。天平勝宝元年閏5月甲辰(11日)条に従五位下から従五位上への昇叙があり、国史大系版、林陸朗校注は従五位上とする。
  9. ^ 『奥州藤原史料』(208頁)は、3年8月19日の誤りかとする。
  10. ^ 陸奥守については陸奥守に任命された駿河麻呂が後に陸奥守として現れるのだから矛盾しないが、鎮守将軍(鎮守府将軍)の任命時が矛盾する。この場合『続日本紀』を信頼すべきである。
  11. ^ ただしこの時の肩書きに陸奥守とはない。
  12. ^ 『仙台市史』は「他に傍証もなく、ここではとらない」とする。
  13. ^ 『奥州藤原史料』には10日。新古典文学大系に従い9日とする。
  14. ^ 国史大系『日本三代実録』前編311頁に「正三位下」。次の『類聚三代格』の位階により改める。
  15. ^ 任官は『後二条師通記』寛治2年(1088年)1月25日上、大日本古記録本の上巻181頁。死亡は同じく寛治7年9月17日条、大日本古記録の中巻104頁。
  16. ^ 陸奥話記』が出典のため信憑性にやや難あり

出典

  1. ^ 『日本思想大系 律令』官位令第1、新装版128-150頁。
  2. ^ a b 『日本思想大系 律令』職員令第2、大国条、新装版192-193頁。
  3. ^ 続日本紀』、宝亀6年(775年)3月2日 (旧暦)の条
  4. ^ 『日本思想大系 律令』官位令第1、新装版192-193頁。
  5. ^ 『日本思想大系 律令』職員令第2、国博士医師条、新装版192-196頁。
  6. ^ 『日本思想大系 律令』職員令第2、新装版192-193頁。
  7. ^ 虎尾俊哉『古代東北と律令法』72-76頁。
  8. ^ 『続日本紀』7月4日条の末尾。
  9. ^ 『類聚三代格』巻24、国史大系本後編418頁。
  10. ^ 増補史料大成『中右記』一の92頁
  11. ^ 『多賀城市史』1(原始・古代・中世)268頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j 『多賀城市史』第1巻269頁。
  13. ^ 増補史料大成『中右記』三の445頁。
  14. ^ 『多賀城市史』第1巻270頁。
  15. ^ a b c d e 『多賀城市史』第1巻271頁。
  16. ^ 『多賀城市史』第1巻271-272頁。


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