北条氏勝とは? わかりやすく解説

北条氏勝(ほうじょう うじかつ) 1559~1611


北条氏勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 22:47 UTC 版)

北条 氏勝(ほうじょう うじかつ)は、後北条氏の一族。江戸時代初期の大名下総国岩富藩初代藩主。北条氏繁の次男。北条綱成の孫で、北条氏舜の弟に当たる。


  1. ^ 毛利家の文書によると、この玉縄城へ落ち延びた際の氏勝の手勢を「700騎」と記している。
  2. ^ 当初、岡崎城の守備。次いで石川貞清が退去した犬山城に入り、戦後は丹波亀山城の在番を務めた。
  3. ^ 氏勝の嫡子として氏明(通称は善九郎)が存在し、高野山にも同行して、文禄元年(1592年)に堀内勝光に知行を宛がう書状などを出していることなどから嗣子的立場にいたと推測されるが、前述の通り氏勝の跡は氏重が継いでおり、その対抗者として立てられていたのは養子に迎えられた氏勝の弟・繁広であることや、以降の氏明の動向も不明であることなどから、父より先に没した可能性が高い。


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