初代広重「東都名所 目黒不動之瀧」・二代広重「東都名所 洲崎汐干狩」
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「甲府道祖神祭礼」の記事における「初代広重「東都名所 目黒不動之瀧」・二代広重「東都名所 洲崎汐干狩」」の解説
山梨県博収蔵の2点はいずれも麻布製で高さ約1.6メートル、横幅10メートル、麻布五反を横方向に継いだ画面に広重が得意とする江戸名所の黒不動境内が俯瞰構図で描かれている。画面上下と四隅のすやり霞部分を藍染めされた上に墨で下書きされ、岩絵具で彩色が施されている。右端には画題、左端には広重の署名と書き印があり、いずれも緑町一丁目の大通り(現在の遊亀通り)に飾られていた幕絵で、本来は東都名所の幕絵が10点以上製作されていたと想定されている。 初代広重の「目黒不動」は東京都目黒区下目黒の瀧泉寺(りゅうせんじ)で、広重は生涯で目黒不動を六点ほど描いている。太田記念美術館所蔵の『江戸近郊図写生帖』『江戸名所写生帖』には初代広重による目黒不動のスケッチがあり、幕絵は喜鶴堂版の錦絵「東都名所 目黒不動詣」に似ていることが指摘され、広重はスケッチを作品に活かしていると考えられている。一方、二代広重の「洲崎汐干狩」は東京都江東区木場の洲崎神社と汐干狩(しおひがり)の情景を描いている。洲崎も初代広重が多く手がけた風景で、幕絵は同じ喜鶴堂版の「東都名所 洲崎しほ干狩」と似ていることが指摘される。
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