三省堂 大辞林 |
映画情報 |
広重
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 1955 |
| 配給: |
| スタッフ | |
| 演出: | 諸岡青人 |
| 製作: | 片田計一 |
| 脚本: | 諸岡青人 |
| 撮影: | 広木正幹 |
| 音楽: | 黛敏郎 マユズミトシロウ |
| スクリプター: | 高橋誠一郎 |
| 新三菱重工業 | |
| キャスト(役名) |
| 解説 |
| 広重の版画「東海道五十三次」を紹介しながら今日の東海道と比較鑑賞するイーストマン色彩の美術映画、一般向。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 広重の肖像画ではじまり雪中山水図、猿若町の夜景など一連の作品によって、その生立ちや画歴を語る。約百五十年前、火消同心の子として江戸にうまれ、狩野派や四条派の諸派をまなび、西洋画の遠近法も研究した。彼は庶民階級の心をくみ、そこに絵の生命の長さがあり、北斎とならぶ風景画家であると。ついで版画すりの実演をみせ、次々と順序ずりが重ねられて完成するのは珍しい。 かくて五十三次の地図を移動してから一八三三年の保永堂版による出世作「五十三次」の道中風景が展開される。お江戸日本橋、箱根の湖水、三島の明神、沼津のたそがれ、原の朝富士等から桑名の渡し口、石薬師寺の図、庄野の白雨、京都の三条大橋、清水寺にいたるまでの絵画と実景を交互に紹介する。そして広重が単に実景を模写したものではなく、絵画的効果のため実景を構成したことをも説く。カメラは広重のながめた位置をもとめて苦心して、いわゆる今昔の感をただよわす。 最後は晩年の名所組物についで亀戸の梅や両国の宵月と、その作風を模したというゴッホやホイッスラーの絵画をくらべて欧米への影響をうたい、風景画における世界的記録であると阿波鳴門の図等の代表作品でむすぶ。北欧映画社作の白黒篇「広重」より熱はないが色彩感がものをいう。また現代実景の中にスクーターを走らせるが実はその宣伝である委託作品を高めようとした努力が買える。 |
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歌川広重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/24 06:54 UTC 版)
(広重 から転送)
歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、浮世絵師。本名安藤鉄蔵。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない[1]。また、ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。
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