出版活動の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 08:01 UTC 版)
「エティエンヌ・ドレ」の記事における「出版活動の開始」の解説
フランスに帰国後、トゥールーズ大学で法の勉強に励む。大学では国・地域別の学生集団が形成されていたが、治安上これを問題視した高等法院は集会禁止令を発した。反発したドレは非難演説を行ったため、投獄され、挙句に当地を追放された。1536年リヨンで一種のラテン語百科事典『ラテン語註解』全二巻を出版、国王フランソワ1世に献上し、ラテン語学者として名声を得る。同年、画家アンリ・ギーヨ(通称コンパン)を殺害した廉で獄中生活を余儀なくされた。1538年には国王から、ラテン語、ギリシア語, イタリア語、フランス語の古典および自著の出版許可を10年間与えられた。 ドレの出版物は、古代から同時代の作品まで、宗教書から世俗書まで、ラテン語による新約聖書の注釈。キケローの文献解釈に関してエラスムスに対する反論からフランス語によるクレマン・マロやフランソワ・ラブレーの評論まで、幅広く及んだ。1542年に出版した Cato christianus のために、異端者および無神論者と咎められ、逮捕される。15か月の拘禁を経て、チュール司教の赦免状により釈放された。
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