公族
公族
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大韓帝国において王位をもっていた親族には「公」の称号が与えられ、その夫人とともに「公族」に列せられた。公となったのは高宗の庶子で純宗の弟に当たる李堈と高宗の兄の李熹である。公族の子に対しては「殿下」の敬称が用いられず、男子は「様」「公子様」、女子は「姫」と呼称された。また王族とは異なり、不敬罪の対象とはならなかった。また公族には歳費の支給が行われなかった。しかしその財政は李王職によって監督されたため、公家が自由に使えるものではなかった。 李堈公家は2代、李熹公家は4代にわたり世襲された。
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公族(藩主一門)
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蜂須賀隆矩(2代藩主蜂須賀忠英の四男|別名・池田興龍(鎮辰)|仕置家老のち藩主一門に復帰)- 嫡男の蜂須賀綱矩は5代藩主 蜂須賀隆喜(2代藩主蜂須賀忠英の五男)- 隆長(長男|富田藩2代藩主)、宗英(三男|7代藩主) 蜂須賀隆寿 - 蜂須賀重隆(次男)蜂須賀喜憲(重隆嫡男だが早世。一時中老、後に藩主一門復帰) 蜂須賀隆穀(重隆次男)-隆寛=休栄-隆実=隆芳 蜂須賀重矩(6代藩主正員の次男) 蜂須賀休光(8代藩主蜂須賀宗鎮の七男)-休紹=休尉 蜂須賀昭順(11代藩主蜂須賀治昭の三男)-昭徳-昭融
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