もうしょう‐くん〔マウシヤウ‐〕【孟嘗君】
孟嘗君
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 02:42 UTC 版)
孟嘗君(もうしょうくん、? - 紀元前279年)は、中国戦国時代の公族・政治家。姓は嬀、氏は田、諱は文。斉の威王の孫にあたる[1]。戦国四君の一人。
- ^ a b 『史記索隠』が引く『竹書紀年』魏紀では、孟嘗君は桓公(威王の父)の孫と記されており、「威王の甥」、「宣王の従弟」とする。
- ^ 裘は動物の毛を外側にした毛皮の衣。狐白裘は狐のわきの下の毛を集めて作られた裘。一般の狐裘は黄色である、狐白裘は白色。裘の中でも最高級品とされる。
- ^ 『百人一首』の清少納言の句「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」は、この故事を踏まえている。
- ^ ただし、後代の北宋の宰相の王安石は、その著書『読孟嘗君伝』で「鶏鳴狗吠の其の門に出ずるは、之れ士の至らざる所以なり」と、鶏鳴狗盗の輩がその門下に集まったことが逆に斉に真の人材が集まらなかった原因をなしたと批判している。
- ^ 馮驩は『史記』の表記で、『戦国策』では
馮諼 ()と記される。 - ^ まず秦王に「孟嘗君が罷免されたので、この機会に秦の重鎮として取り込みましょう」と招聘の使者を送らせ、ついで斉王に「秦は孟嘗君を宰相にしようとしている。それを防ぐには彼を宰相の地位に復帰させ、禄を加増するしかない」と扇動し、両者を手玉にとるという壮大なものだった。
- ^ 宮城谷昌光著『楽毅』では楚国の将の淖歯が莒にて反逆したとある。
- ^ 『三国志』『呉志』薛綜伝裴松之注が引く張勃『呉録』より。
- ^ 史記 孟嘗君列伝 第十五
- 1 孟嘗君とは
- 2 孟嘗君の概要
- 3 孟嘗君を題材にした小説
孟嘗君(もうしょうくん)
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「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「孟嘗君(もうしょうくん)」の解説
戦国四君の一人。斉の公子で宰相も務めた。「秦を牽制できるこの世にたったひとりの人」と言われた大人物丹の三俠が訪れたときには既に危篤状態だったが、丁烹の作った粥を味わいつつ荘子との二度の旧縁や人生を回想し、大勢の食客たちに見守られながら胡蝶の夢を見たのち大往生を遂げる。食客たちに荘丹に協力するよう遺言し、信陵君への紹介状を託ける。かつて垂沙の役や対秦合従軍を率いた戦で白起の軍略や思想にも大きな影響を与えていた。
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