全日本F3000の予選用タイヤについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:14 UTC 版)
「1992年の全日本F3000選手権」の記事における「全日本F3000の予選用タイヤについて」の解説
全日本F3000シリーズは、エイボン製のワンメイクタイヤを使用する国際F3000シリーズに対し、ブリヂストン、ダンロップ、横浜ゴムの各メーカーによる激しいタイヤ開発競争が行われていたことが、大きな技術的特徴と言える。 F1においても1991年まではグッドイヤーとピレリによってタイヤの開発競争が行われていたが、1991年限りでピレリが撤退。1992年シーズンからグッドイヤーのワンメイクとなり、レギュレーションにより予選用タイヤも禁止された。 F3000マシンはF1マシンと比べて、シャシーが市販品であること、回転数が9,000回転までに制限された3Lエンジンであること等、マシンの性能はF1とはかなり差がある。しかし上述のF1のタイヤを巡る状況の変化によって、これまで通り予選用タイヤを使用する全日本F3000との予選タイムが急速に接近することになった。以下、開催時期が近い1992年F1日本グランプリ(10月23~25日開催)と鈴鹿サーキットで行われた1992年全日本F3000最終戦(11月14~15日開催)の予選タイムを比較する。 F3000最終戦のポールポジションタイムは1分42.934秒でロス・チーバーが記録した。このタイムを日本グランプリの予選順位に当てはめると1分42.824秒のタイムを出した15位のフェラーリのジャン・アレジと1分43.029秒を記録し16位に入ったフットワーク無限ホンダの鈴木亜久里の間に割って入ることになる(チーバーのマシンは無限エンジン搭載車なので、F1の無限ホンダエンジン搭載車より、F3000の無限エンジン搭載車の方が良いタイムを出したことになる)。 さらにF3000最終戦予選2位の服部尚貴(1分43.401秒)と予選3位の黒澤琢弥(1分43.903秒)が、日本グランプリ予選25位のマウリシオ・グージェルミン(1分44.253秒)のタイムを上回り、F3000最終戦予選24位の舘善泰(1分46.708秒)のラインまでが日本グランプリで一人だけ遅かった予選26位のエマニュエル・ナスペッティ(1分47.303秒)のタイムを上回っている。全日本F3000マシンの殆どが日本グランプリの予選最後尾のマシンより良いタイムを出していることになる。 1991年に全日本F3000にスポット参戦したミハエル・シューマッハがレース用タイヤと1周当たり3秒もタイムが違うと驚き、長谷見昌弘が信じられないくらい食いつくと語った予選用タイヤの存在がF1と全日本F3000のマシン性能の差を埋めてしまったといえるだろう。
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