入門~大関昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:45 UTC 版)
1975年(昭和50年)3月場所、初代若乃花の二子山部屋から本名の日高で初土俵。同期生には同部屋の太寿山、後の大関霧島、井筒3兄弟の長男鶴嶺山がいた。この場所、部屋の先輩にあたる大関貴ノ花の幕内優勝を目撃し、力士としては軽量になる自分と重ね合わせた。 初土俵から丸5年経った1980年(昭和55年)3月場所に新十両昇進。同時に四股名を若島津に改める。学生出身力士のまだまだ少なかった当時、「高校出は大成しない」と言われながらも、左下手を取って右から絞って攻める取り口で十両を5場所で通過し1981年(昭和56年)1月新入幕。10勝5敗の成績をあげて敢闘賞を受賞した。 1981年(昭和56年)11月場所は西前頭4枚目の地位で横綱北の湖から初金星を獲得、翌年1月場所でも西前頭2枚目の地位で北の湖から2場所連続で金星を獲得するなど12勝3敗の成績を挙げ技能賞を受賞。3月場所では小結を飛び越えて西関脇に昇進。7月場所で一度小結に落ちたが10勝を挙げ関脇に復帰、9月場所と11月場所では2場所連続12勝3敗という好成績を残し、大関昇進の目安となる直近3場所合計34勝に到達したため1983年(昭和58年)1月場所で念願の大関昇進を果たした。
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