旭國斗雄
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旭國 斗雄(あさひくに ますお、1947年4月25日 - )は、北海道上川郡愛別町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は太田 武雄(おおた たけお)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長174cm、体重118kg、血液型はB型。
- ^ a b c d e f g h i j ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p23
- ^ a b 角界「異名」列伝 ウルフの時代 時事ドットコム
- ^ 相撲博士 土俵に別れ 旭国、故障に勝てず引退『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月19日夕刊 3版 14面
- ^ a b c d 『大相撲ジャーナル』2017年6月号109頁
- ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p13
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p48
- ^ 『相撲』2012年5月号67頁には「北海道の母親が送ってくれた熊笹を煎じて飲んだおかげで調子が良くなり、引退後も症状が出ていない。大島部屋の関取衆もよく飲んでいるみたいだ。」と膵炎の治療についてのエピソードが記述されている。
- ^ 『相撲』2012年8月号
- ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p46
- ^ 中日新聞社『土俵一途に 心に残る名力士たち』心に残る大関列伝・魁傑)
- ^ 当時、角界にモンゴル出身者が一人もいなかったため、大島のスカウトは角界で初めての試みであった。
- ^ 毎日新聞2017年4月4日 東京朝刊
- ^ 1950年代まで存在した、現役を続けたまま部屋を経営する二枚鑑札制度(プロ野球の選手兼任監督に当たる制度)は現在認められていないため、部屋を経営するには現役を引退する必要がある。
- ^ 旭天鵬が大島親方定年場所に気合 日刊スポーツ 2012年3月4日閲覧
- ^ 親方定年で大島部屋力士が友綱へ転属 日刊スポーツ 2012年3月25日閲覧
- ^ “旭天鵬 初優勝に「頭が真っ白になった」”. スポーツニッポン. (2012年5月20日) 2012年5月20日閲覧。
- ^ 結果は、貴ノ花が寄り切りで旭國に勝利している。
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 創業70周年特別企画シリーズ②(別冊師走号、2016年)82ページから83ページ
- ^ サントリー純生CM【麒麟児・加山雄三・旭國】
- ^ 急性胆嚢炎により13日目から途中休場
- ^ 慢性膵臓炎により初日不戦敗
- ^ 慢性再発生膵臓炎により3日目から途中休場
- ^ 膵臓炎により初日から休場、10日目から出場
- ^ 輪島と優勝決定戦
- ^ 頸部椎間板損傷・膵臓炎により3日目から途中休場
- ^ a b c 角番 (全3回)
- ^ 頸椎捻挫により9日目から途中休場
- ^ 右肩関節挫傷により8日目から途中休場
- ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 27頁、68頁)
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