入門後から関取昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:38 UTC 版)
「千代鳳祐樹」の記事における「入門後から関取昇進まで」の解説
中学卒業後、兄と同じ九重部屋に中卒で入門、2008年5月場所で初土俵。勝ち越しが続いていた同11月場所で左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負い、2009年5月場所まで休場。復帰した2009年7月場所で勝ち越すと、翌9月場所で序二段優勝を果たした。四股名を大木下から千代鳳に改めたあと、一時三段目で苦しんだが順調に昇進していった。2011年1月場所でに幕下に昇進。大相撲八百長問題で本場所が中止となっていた2011年4月2日には、実家が火事に見舞われたという知らせを受けた。初め、姉の電話があったときは「もうエイプリールフールは終わったよ」とエイプリルフールのネタだと決めつけていたが、後で友人からメールや現場の写真を受けて事実だと知った。以来、新居と新しい土地を購入するために関取として稼ぐ決意を固め、同11月場所と翌2012年1月場所を連続で6勝1敗(優勝同点・いずれも8人によるトーナメント式決定戦の決勝で敗北)の成績を収めた。翌3月場所での十両昇進を決め、2006年11月場所の若ノ鵬以来、日本人力士としては同年9月場所の栃煌山以来6年ぶりとなる10代の関取となった。志布志市では史上2人目の関取(旧志布志町出身の陣岳を史上初とした場合)。
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