偵察・電子戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 19:05 UTC 版)
「B-57 (航空機)」の記事における「偵察・電子戦」の解説
アメリカ空軍はB-57Aを運用に不適としたが、RB-57Aは幾度か使用された。1953年10月に初飛行したRB-57Aは、1954年7月までにショー空軍基地の第363戦術偵察航空団に配備された。ほかにはドイツやフランス、日本の飛行隊にも配備された。しかし、運用への準備は不十分であり、RB-57Aはエンジンに関する問題のために生産が大幅に遅延していた。エンジン生産元のライト社は本業を自動車製造とするビューイック社にJ65エンジンの下請け生産をしていたが、配送が遅くなってしまっていた。また、エンジンオイルがブリードエアシステム内に侵入し、煙がコックピットに充満する傾向があった。ライト社が1954年にエンジン生産を引き継ぐと、この問題は改善された。RB-57Aも一部では、単一エンジンの扱いが悪いことにより発生した高い事故率に悩まされていた。これにより、配備機の全体が1955年の大半を飛行せずに費やす結果となった。1958年までに、すべてのRB-57AはRB-66BデストロイヤーおよびRF-101Aヴードゥーに交替された。空軍州兵部隊は1971年まで米国の空中写真撮影の目的でRB-57Aを広範囲に使用した。 アメリカで交替された多くのRB-57Aが、西ドイツのヴィースバーデン飛行場を拠点とする第7499支援航空群によって、ヨーロッパ上空の「ハートスロブ」偵察作戦で使用された。マーティン社の製造ラインから10機の航空機が移動され、1955年8月にWADCとマーティン社によって改造が行われた。昼間の写真撮影に不可欠ではない機器や爆弾倉扉が取り除かれ、爆弾倉扉のあった部分は滑らかに通常胴体に成形された。システムオペレーター/ナビゲーターの座席が削除され、光学照準器が機首に取り付けられ、パイロットがナビゲーターの支援なしですべての偵察任務を実行できるようになった。透明なプレキシガラスノーズコーンは、不透明なグラスファイバーコーンへ変えられ、照準器用に小さな光学窓が開けられた。J65-BW-5エンジンは高推力のJ65-W-7に置き換えられた。この改造を施された航空機はRB-57A-1と呼ばれ、重量がRB-57Aより5665ポンド減った。中華民国空軍には、2機のRB-57A-1が中国上空の偵察任務に使用された。1機は1958年2月18日に人民解放軍空軍のMiG-17に撃墜され、パイロットが死亡した。1959年には2機のRB-57DがA型を更新するため納入されたが、D型も1機がSA-2ガイドラインミサイルによって中国上空で撃墜され、地対空ミサイル運用以来の初戦果となってしまった。他2機のRB-57Aは、次世代ジェット旅客機の高高度航路を計画するために連邦航空局が使用した。 1959年から、マーティン社は引退したRB-57Aの爆弾倉に電子対策(ECM)装置を組み込み、EB-57Aとして再設計していた。EB-57Aは電子戦における友軍の防空を目的として、防衛システム評価飛行隊とともに配備された。後に開発された爆撃機型もこの任務のために改造された。EB-57Aは現役の空軍部隊によって運用されていたが、最終的には空軍州兵のいくつかの部隊に移動された。空軍州兵のEB-57Aは、1980年代になって、EF-111Aレイヴンに置き換えられた。 戦略航空軍団は1956年から1964年まで20機のRB-57D航空機を使用したが、その運用についてはほとんど知られていない。航空機は老朽化により、U-2とSR-71に順次交代されて退役した。 長年にわたり、2機のWB-57F(NASA 926とNASA 928)が高高度大気調査のためにNASAによって運用されている。この2機は、戦場のさまざまな通信機器と他の航空機にを繋ぐ戦場上空を飛行する通信経由地として使用するためにアフガニスタンに交互に派遣され、戦場空中通信ノードシステム(BACN)と呼ばれた。2011年、任務の遂行には3機目が必要だと判断され、40年以上デイヴィス=モンサン空軍基地で保管されていたWB-57が、登録されていた第309航空宇宙整備・再生航空群(AMARG)から削除されNASA 927として2013年8月に飛行状態に復帰した。
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