供用前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:06 UTC 版)
1970年(昭和45年)7月 - 本州四国連絡橋公団を設立する。 1973年(昭和48年)9月 - 本州四国連絡橋の工事に関する基本計画が指示される。 1973年(昭和48年)11月20日 - 建設大臣より着工延期の指示が各自治体に出される。 1975年(昭和50年)8月18日 - 関係省庁決定により、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)以外で工事凍結を解除する橋の1つに選ばれる。 1976年(昭和51年)7月2日 - 起工式が行われる。 1977年(昭和52年)12月 - 橋脚の掘削作業を開始する。 1978年(昭和53年)3月 - 建設・運輸・国土3省庁で大鳴門橋の道路単独橋への変更が合意。 1979年(昭和54年)1月 - 総工費に対する道路負担部分を増やし新幹線建設費も極力切り詰めて併用橋とすることで、建設省と運輸省間で合意。 1979年(昭和54年)11月 - 鳴門側橋台アンカーフレーム立柱式を挙行する。 1980年(昭和55年)7月 - 鳴門側主塔立柱式を挙行する。 1981年(昭和56年)3月 - 淡路側主塔閉合式を挙行する。 1981年(昭和56年)6月 - ケーブル架設工事の安全祈願祭が行われる。 1981年(昭和56年)6月 - 建設省が本州四国連絡橋公団へ明石海峡大橋の道路単独架橋の可能性について調査を指示。 1981年(昭和56年)8月 - パイロットロープが渡海される。 1982年(昭和57年)6月 - 主ケーブルの張り渡し作業が完了する。 1983年(昭和58年)4月 - 橋桁の敷設工事を開始する。 1984年(昭和59年)3月 - 橋桁がつながる。 1985年(昭和60年)4月 - 大鳴門橋架橋記念館「エディ」が開館。 1985年(昭和60年)5月 - 85鳴門ピア・ウォークで17,200人が大鳴門橋を歩いて渡った。
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