住友銀行広島支店とは? わかりやすく解説

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住友銀行広島支店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 01:37 UTC 版)

人影の石」の記事における「住友銀行広島支店」の解説

黒色X印が爆心地赤色O印が旧住銀行(現三井住友銀行) 1945年7月25日 1945年8月8日 人影の石は、元々爆心地から260mに位置した住友銀行広島支店の玄関前の石段である。同地は現在中紙屋町1丁目三井住友銀行広島支店である。 建物1928年昭和3年)に建てられたもので、設計住友工作部(現日建設計)の竹腰健造施工大林組鉄筋コンクリート造地上4階地下1階3階まで吹き抜けで、1階営業応接と金庫室、4階会議室食堂および賃室、地階ボイラー室。その前年造られ芸備銀行本店(現広島銀行本店)の南にほぼ同規模の大きさ造られ全体的にロマネスク様式正面繰形大きなアーチ特徴的な銀行であった1945年8月6日被爆全壊免れたものの外観残して内部破壊された。幸いにも金庫室は全く被害がなく、現金通帳等は残っていた。銀行にあった書類爆風によって沼田町伴にまで飛んでいたという。 住銀公表した被爆当時従業員数広島支店および東松原支店合計数で約58人。当日普段通り営業で、被爆時点では開店前で従業員大半通勤途中のことであった原爆による人的被害同じく合計数で、即死29人(店内通勤途中のもの)、負傷者40人、行方不明者0 。広島支店内で被爆した従業員には、避難した放射能影響数日後亡くなったもの、また生き残り定年まで住銀勤めたものもいる。その立地から被爆後通行者が店内避難しており、部外者屍体相当数収容されていたという。 戦後銀行業務再開したところ、広島支店入口の影は原爆影響如実に表れている「原爆名所」として広島市公認いわゆる観光名所となった当時は「死の人影」と呼ばれた証言によると、当時原爆ドーム次いで有名な名所であったという。住銀側もその保護尽力しており、まず1959年には柵を設け1967年には劣化防止として強化ガラスで覆う処理をしている。 1971年広島支店建て替えることになり影部分切り取られ平和資料館寄贈された。

※この「住友銀行広島支店」の解説は、「人影の石」の解説の一部です。
「住友銀行広島支店」を含む「人影の石」の記事については、「人影の石」の概要を参照ください。

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