京都学派とは? わかりやすく解説

京都学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 21:33 UTC 版)

京都学派(きょうとがくは、英語: Kyoto School)とは、一般に西田幾多郎田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において「京都学派」と呼ばれるグループが存在している。


注釈

  1. ^ 「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」、「ケインズの日本人嫌いの理由の一つには、日本の経済学者でケインズのところへ来た人間にろくなやつがいなかったということがあります。論争らしい論争をやったのは柴田さん一人ですか」宮崎義一、伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論53/8月号
  2. ^ 国際的な経済学大辞典 (The New Palgrave1987) の独立項目にその名を記す日本人経済学者は僅か5人を数えるのみであるが、その一人として、柴田敬が選ばれている
  3. ^ ただし、元々の唯物史観での東アジアはアジア的生産様式での停滞を前提としており、宋以降中世説は日本独自の発展と言える。

出典

  1. ^ 粕谷一希『反時代的思索者 唐木順三とその周辺』,57頁
  2. ^ 下村寅太郎「汀の散歩Ⅰ」,524頁
  3. ^ 根岸隆:「経済思想10日本の経済思想2」鈴木信雄編 第4章 柴田敬 国際的に評価された最初の経済学者
  4. ^ 根岸隆:「現代経済思想の散歩道」倉林義正ほか編2004年7月15日 日本評論社 第8章 近代経済学の京都学派
  5. ^ 宮崎義一伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論S53/8月号
  6. ^ 後藤嘉宏 「社会科学における書誌作成の意義と根拠:杉原四郎における経済思想史の方法論と図書館学的関心の関わり」『図書館学会年報』44巻2号(1998年9月)、pp.49-64
  7. ^ 小林敏明『西田幾多郎の憂鬱』岩波現代文庫,2011年
  8. ^ 下村寅太郎「汀の散歩Ⅰ」- 「著作集13 エッセ・ビオグラフィック」、524頁(みすず書房、1999年)
  9. ^ 内藤、1944。
  10. ^ 宮﨑、1999。
  11. ^ 谷川編、1993。
  12. ^ 藤縄昭『私家本 仏像遍歴』ナカニシヤ出版、2002年2月、94頁。ISBN 9784888486729 
  13. ^ 西田哲学会 第10回年次大会プログラム”. 2014年4月閲覧。
  14. ^ 新文明学:New Philosophies of Japanese Civilization”. 2017年7月4日閲覧。
  15. ^ 「新文明学」シリーズ創刊”. 2017年7月4日閲覧。



京都学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:18 UTC 版)

京都大学」の記事における「京都学派」の解説

京都大学教授として多く哲学者育成した西田幾多郎田辺元らは、京都学派と呼ばれる学派形成し日本における哲学理論形成影響与えた。京都学派の思想については、今なお世界各国研究続いている。 詳細は「京都学派」を参照

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京都学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 14:55 UTC 版)

京都学派四天王」の記事における「京都学派」の解説

京都学派(きょうとがくは)とは、一般に西田幾多郎田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指す。京都学派は西洋哲学東洋思想融合目指した『善の研究』などで表される西田哲学立場に立ち、東洋ありながら西洋化した日本で、ただ西洋哲学受け入れるだけではなくそれといかに内面折り合うことができるかを模索したしかしながら東洋再評価立場や独自のアイデンティティ模索することは次第に「西洋行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想近づくことになった。特に京都学派四天王西谷啓治高坂正顕高山岩男鈴木成高)らは、「世界史哲学」や「近代の超克」を提唱し海軍接近したこのため太平洋戦争敗戦により、戦前の京都学派はいったん没落した。だが戦後高坂高山らは自民党などの保守政治接近し、京都学派と政治とのかかわり今日に至るまで脈々と続いている。なお、陸軍海軍較べて圧倒的なをもっていた時代において、海軍へ接近軍部政権へ翼賛というよりは、軍部方針是正しようとする体制批判行動であった大東亜戦争下の昭和十七年から翌年にかけ『中央公論誌上で三回にわたり掲載され大東亜戦争を「世界史哲学」の立場から思想的位置付けようと試みた世界史立場日本座談会(「世界史立場日本昭和十七一月号、「東亜共栄圏の倫理性歴史性昭和十七四月号、「総力戦哲学昭和十八年一月号)の出席者である。 大戦下は、京都学派と海軍との間で定期的に行われ東條内閣打倒陸軍方針是正話し合われ秘密会合の常連出席者であった。 「世界史哲学」は陸軍皇道派により反国体思想として攻撃されていたが、大川周明近世欧羅巴植民史』の亜流とする説[要出典]もある。 『京都哲学撰書第11巻 世界史理論 京都学派の歴史哲学論攷』(森哲郎解説燈影舎2000年)が新版刊行

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