中勢鉄道青谷車両脱線事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「中勢鉄道青谷車両脱線事故」の解説
1939年(昭和14年)11月1日[要出典] 中勢鉄道のガソリンカーが、津市の青谷でカーブを曲がりきれず脱線。当日は興亜奉公日であり車内は女学校の生徒で満員であったため女子生徒2名が死亡、50名が重軽傷という大惨事になった。 この事故で運行会社は安全面を問われ、並行路線である参宮急行電鉄(現・近鉄名古屋線)の開通によって衰退していたうえに、さらなるダメージとなり、まもなく廃止に追い込まれた。 運転手は汽車電車転覆罪で起訴されたが、被告人弁護人が刑法125条の「鉄道又ハ其標識ヲ損壊シ又ハ其他ノ方法ヲ以テ汽車又ハ電車ノ往来ノ危険ヲ生セシメタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス(平成7年改正前の文語体による条文。ただし改正された刑法125条の主旨は同じ)」が言うところの「汽車又ハ電車」には、ガソリンカーは含まれないと裁判で主張した。それに対し裁判所は「汽車又ハ電車」という文言自体にとらわれず、立法趣旨に鑑みて本質的にガソリンカーも汽車に含まれると判断し、有罪判決を下した(大審院、昭和15年8月22日判決)。そのため刑法学ではこの事故の裁判は、法律学上罪刑法定主義で禁じられている類推解釈の例外である、論理解釈かつ拡張解釈の一例とされている。
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