上巻の特徴と疑問点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/22 20:51 UTC 版)
この『日光山縁起』は室町時代後期の成立といわれている。『日本思想大系』に収録される本文を見ると、しかし疑問に思われるところがいくつかある。 下巻冒頭では死して地獄の閻魔宮に行った有宇中将の前に、母と姫君が現れるのであるが、母親のほうは上巻において死去していることが記されているものの、姫君については死んだなどという記述は無い。上巻の末尾では有成の少将が姫君を青鹿毛に乗せ亡くなった有宇中将の所に連れて行こうとし、ついでに阿武隈川の名の由来も述べて巻を終えている。その原文は「…われは身をやつしつゝ、旅人なんどのやうにてともなひ申させ給(ひ)けり。それより妻離(つまさか)川をあふくま川とは申せり」とある。しかし「身をやつし」とは有成少将のことであるが、なぜ身をやつす必要があったのか、その理由は記されない。 また有宇中将は上巻の中で三たびほど人に宛てて文を書いているが、上の梗概では略したがこれはすべて和歌である。そして二荒山で最後を迎える時にも辞世の和歌を詠んで事切れる。下巻の内容が小野猿丸が活躍する神仏の縁起譚という趣が強いのに対して、上巻の内容はどちらかといえば『伊勢物語』や『源氏物語』以来の、王朝物語の流れを汲む貴種流離譚と見られなくも無い。その本文にはなにか憶測をめぐらしたくなるような所がいろいろとあるが、この縁起自体は日光山における山岳信仰を象徴するもののひとつであることは間違いないといえよう。なお本文に「是を後素にあらはす」とあり「後素」とは絵画のことを指すので、当初この縁起は絵巻物か垂迹曼荼羅に類する絵を説く際の詞章として作られたと見られる。
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