万引き被疑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:54 UTC 版)
同じ1995年6月、朝木明代は、東村山市内の店で発生した万引き事件(6月19日)の被疑者として、警視庁東村山警察署(以下、東村山署)で3回(6月30日・7月4日・7月12日)にわたって取調べを受けたが、一貫して否認した。初回の取り調べ当日夜に、朝木明代は矢野穂積とともに「『東村山市民新聞』の取材」として被害届を出した理由を問うために店を複数回訪問している。二人が即座に店を特定できたことから、朝木明代が実際に万引きをしたか、警察官が朝木明代に店が特定できる情報を提供したか、どちらかであると思われる(朝木明代は、万引き事件の存在を6月30日の取り調べで初めて知ったとしている)。7月4日の取り調べにおいて、朝木明代は、万引きのあった時間には同僚の矢野議員と食事をしていたと主張し、レストランから受け取ったレシートのコピーを提出した。しかし、裏付け捜査の結果、レシートのコピーは後日にレストランに請求して受け取ったレジジャーナルのコピーであること、朝木明代の供述とレシートの記載内容・レストラン店員の記憶に不整合があることが分かり、アリバイ工作を行ったと見なされて7月12日に書類送検された。送検直後に朝木明代は「創価学会員である店主が創価学会の意を受けて万引き事件をでっち上げた」とのコメントを報道各社に出して『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』『週刊朝日』『週刊ポスト』で報じられ、8月3日には店主を名誉毀損罪で刑事告発した。また、『週刊新潮』(8月17・24日合併号)は「朝木事務所に万引き事件は替え玉を使った陰謀だという情報が寄せられている」という矢野の談話を掲載した。朝木明代の転落死(下記)により、万引き被疑は被疑者死亡による不起訴となった(1996年3月)が、その後は、矢野・朝木直子が万引きでっち上げの主張を続けることとなる。 店主は、事件時の朝木明代の服装「グリーングレーのパンツスーツに黒の襟の立ったチャイナカラーのブラウス」と証言した。朝木明代は、万引事件(3時15分ごろ)の約1時間前に銀行ATMで送金をした。ATMの監視カメラが捉えた明代の服装は、店主の証言とほぼ一致していたという。矢野らは、この映像を参考にして遺品の衣服(ただし、襟の形・スーツの色など店主の証言とは食い違うもの)を選定して朝木直子に着せ、監視カメラと同等のカメラで撮影した写真を「再現写真」と呼んだ。「再現写真」を見た東村山署元副署長は「服が同じか断定できないが、雰囲気としてよく似ている」と述べ、店主は「服装の雰囲気が違うような気がする」と述べた。矢野らは、 店主の証言と「再現写真」では朝木明代の服装が食い違う 元副署長は「雰囲気が似ている」、店主は「雰囲気が違う」と供述が食い違う ことが冤罪の最大の証拠だとしている。また、万引き現場を通りかかった目撃者の1人が証言した服装「黒っぽいスーツ姿」とも矛盾する、としている。 当初に主張したアリバイ(レストランでの食事)について、矢野・朝木直子は、レストランへ行った日付・時刻に関する記憶が間違っていた可能性を認めておりあいまいな記憶に基づいて詳細なアリバイを主張し、レシートを証拠として提出したことになる。後日の民事訴訟(#訴訟の応酬を参照)においては、矢野らは「アリバイの主張は故意(アリバイ工作)ではない」「アリバイの主張に矢野は関与していない」と主張した。
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