ワラキアを狙う列強国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/07 07:27 UTC 版)
「ワラキア蜂起」の記事における「ワラキアを狙う列強国」の解説
オーストリアとの間に墺土戦争が発生してオーストリア軍が優位に事を進めると、ワラキアのボイエールたちはオーストリア帝国 領としてワラキア公国を自治国化させることを提言、ワラキア公ニコラエ・マヴロコルダトス (en) はこれを鎮圧するために命令を下したが、そのためにルーマニア正教会大主教アンティム・イヴィレアヌ (en) らが殺害された。しかし結局、ボイエール側が勝利を収め、さらにオーストリア軍がワラキアへ進撃した。このため、1718年に結ばれたパッサロヴィッツ条約でオーストリアはセルビア、ワラキア公国の一部であるオルテニアなどを手に入れた。そしてオーストリアがオルテニアを支配している間、様々な改革が行われた。これは後にワラキアがオスマン帝国に返還された際に諸改革が行われることにつながるが、オスマン帝国の意に反する改革は阻止された。 1735年、ロシア、オーストリア対オスマン帝国の戦い(オーストリア・ロシア・トルコ戦争)が発生するとロシア軍はモルダヴィアへの侵攻に成功したが、ワラキアを奪取しようとしたオーストリア軍は進撃に失敗、オルテニアは放棄された。結局、1739年に結ばれたベオグラード条約 (en) でオルテニアはワラキアへ再び併合された。 またさらに、不凍港を求め南下政策を採用していたロシアのエカチェリーナ2世はオスマン帝国との戦いを続けていたが、露土戦争 (1768年-1774年)で勝利したロシアは1774年に結ばれたキュチュク・カイナルジ条約で黒海北方を得た上でオスマン帝国内のキリスト教徒らを保護する権利も得た。そしてワラキア、モルダヴィア両公国のボイエールらもこの条約締結の際に参加していたが、彼らはロシア、プロイセン、オーストリアの保障の下でワラキア、モルダヴィアの自治国化を求めた。 ロシア、オーストリアらがオスマン帝国より優位に立ったことはワラキア、モルダヴィアの人々らに解放の気運を与え、両公国の人々はロシア、オーストリアなどの対オスマン帝国の戦いに義勇軍として参加、ボイエールたちはウィーンやサンクトペテルブルクへワラキア、モルダヴィア両公国の自治を認めるよう覚書を送付してオスマン帝国からの解放を表明した。 1774年以降、一時的な平和を得たワラキア、モルダヴィア両公国は一時的に停止されていたファナリオティス制が復活、アレクサンドル・イプシランティス (en) がワラキア公に就任すると様々な改革が行われた。しかしこの改革も困窮していたオスマン帝国政府が過大な要求を出したため、崩壊、さらに露土戦争 (1787年)が勃発するとロシア軍、オーストリア軍がワラキア、モルダヴィアへ侵攻、両公国は主戦場となり荒廃した。ただしオーストリア軍はフランス革命の発生とオランダにおける反乱の発生のために、途中で手を引かざるをえなくなったため、ロシアとオスマン帝国の間で1792年、ヤシー条約 (en) が結ばれた。そしてバルカン半島においてビザンツ帝国を復活させギリシャ帝国を復興させるというエカチェリーナ2世の夢はモルダヴィア、ワラキア両公国を占領しながらもイギリスとの利害関係が発生した事であきらめざるを得なかった。 一方、フランスで台頭したナポレオン・ボナパルトはオーストリア軍を撃破、オーストリアの南東ヨーロッパ進出計画をも断念させた上でルーマニアへ興味を示した。そのため、ワラキア、モルダヴィア両公国のボイエールたちはナポレオンへ覚書を送り、ワラキアへの自治制導入とファナリオティスによる公位独占を廃止することを求めた。ナポレオンはオスマン帝国に圧力をかけてワラキア、モルダヴィア両公を罷免させたが、これはあくまでも当時対立していたロシアを苦境に陥れるための措置であり、ボイエールらの願いを叶えたわけではなかった。しかし、その一方でナポレオンが1807年にオペール大尉(『モルダヴィアとワラキアに関する統計的基礎知識』の著者)を派遣したことでその影響を受けた。 ところが、このオスマン帝国による両公の解任はロシアとの協定に違反したものであったため、ロシアはオスマン帝国へ宣戦布告、露土戦争 (1806年-1812年) (en) が勃発したが、おりしもナポレオンがティルジットの和約をロシアと結んだためにオスマン帝国は単独でロシアと戦わなければならなかった。そして、両公国は1806年、ロシアによって占領されたが、オルテニアのパンドゥーリ兵(ワラキアにおける非常備軍のこと)はロシアに協力、ロシアはオスマン帝国に勝利したが、この時の経験は後のワラキア蜂起において役立つことになった。
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