ワラキア蜂起とは? わかりやすく解説

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ワラキア蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 17:21 UTC 版)

ワラキア蜂起(ワラキアほうき、ワラキア農民蜂起とも)(ルーマニア語:Revoluția de la 1821(1821年革命))とは1821年オスマン帝国支配下のワラキア公国で発生した蜂起。ギリシャ独立戦争と同時に行われたが、ロシアの協力を得ることができずオスマン帝国によって鎮圧された。


注釈

  1. ^ ウッドハウスによれば1480年以降は属国という地位になった[3]
  2. ^ なお、この時の最大版図が後の大ルーマニア主義につながる[6]
  3. ^ そのため、それまで公位はヴォイェヴォドと呼ばれていたのがポスポダル(ポスポダール) (enと呼ばれるようになった[8]
  4. ^ 両公国は1711年から1800年の間に62回、公が変わったが、同じ人物が着任することが多く、公位を務めたのは25人に過ぎず、またそれはファナリオティスの家系、11家族の内のどれかに所属していた[8]
  5. ^ これはロシア軍がルーマニアの人々と交渉などを行う際にフランス語を使用したことが関係している[35]
  6. ^ この盟約によれば、ヴラディミレスクは人民等に武器を取らせる義務があり、貴族らはそれを支援する義務があるというものであった[44]
  7. ^ ルーマニアでは新暦移行が1919 年以降であり、ルーマニア近代史では日付にはユリウス暦(旧暦)を併記するのが慣例[45][46]

参照

  1. ^ 矢田 (1977)、pp.101-103
  2. ^ 矢田 (1977)、p.106
  3. ^ ウッドハウス(1997)、p.122
  4. ^ 矢田 (1977)、p.149
  5. ^ 矢田 (1977)、pp.106-107
  6. ^ a b 矢田 (1977)、p.119
  7. ^ 矢田 (1977)、pp.183-184
  8. ^ a b c カステラン (2000)、p.59
  9. ^ 木戸(1977)、pp.87-88
  10. ^ 南塚 (1989)、p.182
  11. ^ ウッドハウス(1997)、p.150
  12. ^ a b c 木戸(1977)、p.88
  13. ^ オツェテァ1 (1977)、p.265
  14. ^ a b カステラン (2000)、p.115
  15. ^ オツェテァ1 (1977)、p.266
  16. ^ カステラン (2000)、p.60
  17. ^ オツェテァ1 (1977)、pp.267-269
  18. ^ オツェテァ1 (1977)、p.269
  19. ^ オツェテァ1 (1977)、p.272
  20. ^ a b ウッドハウス(1997)、pp.156-157
  21. ^ オツェテァ 1(1977)、p.267
  22. ^ オツェテァ1 (1977)、pp.274-275
  23. ^ オツェテァ 1(1977)、pp.275-276
  24. ^ カステラン(1993)、p.29
  25. ^ a b オツェテァ 1(1977)、p.276
  26. ^ オツェテァ 1(1977)、pp.277-278
  27. ^ 南塚 (1989)、pp.182-183
  28. ^ オツェテァ 1(1977)、p.278
  29. ^ 矢田 (1977)、pp.188-189
  30. ^ 矢田 (1977)、pp.184-185
  31. ^ 矢田 (1977)、p.188
  32. ^ 木戸(1977)、pp.87-89
  33. ^ 木戸(1977)、pp.89-90
  34. ^ 南塚 (1989)、pp.198-199
  35. ^ 木戸(1977)、p.90
  36. ^ 木戸(1977)、pp.90-91
  37. ^ カステラン(1993)、pp.29-30
  38. ^ a b 木戸(1977)、p.91
  39. ^ 阿部 (2001)、p.105
  40. ^ カステラン(1993)、p.30
  41. ^ カステラン (1994)、pp.95-96
  42. ^ a b c d カステラン (1994)、p.96
  43. ^ a b c カステラン(1993)、p.31
  44. ^ a b c オツェテァ2 (1977)、p.13
  45. ^ カステラン(1993)、p.64
  46. ^ オツェテァ2 (1977)、p.201
  47. ^ オツェテァ2 (1977)、p.14
  48. ^ オツェテァ2 (1977)、pp.13-14
  49. ^ a b オツェテァ2 (1977)、pp.14-15
  50. ^ 矢田 (1977)、pp.189-190
  51. ^ a b c オツェテァ2 (1977)、p.18
  52. ^ カステラン (1994)、pp.96-97
  53. ^ カステラン (1994)、p.97
  54. ^ オツェテァ2 (1977)、pp.15-16
  55. ^ オツェテァ2 (1977)、p.16
  56. ^ 阿部 (2001)、pp.99-100
  57. ^ 柴(1996)、p.42
  58. ^ a b クロッグ(2004)、p.32
  59. ^ a b c d e カステラン (1994)、p.98
  60. ^ カステラン(1993)、p.32
  61. ^ オツェテァ2 (1977)、p.19
  62. ^ オツェテァ2 (1977)、pp.19-20
  63. ^ a b c 阿部 (2001)、p.100
  64. ^ 柴(1998)、p.162
  65. ^ スボロノス(1988)、p.47
  66. ^ カステラン(1993)、p.33
  67. ^ a b 矢田 (1977)、p.190
  68. ^ カステラン (2000)、p.116
  69. ^ 周藤、村田(2000)、p.238
  70. ^ 木戸、伊東 (1988)、p.31


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