リュミエール社技師による撮影
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「シネマトグラフ」の記事における「リュミエール社技師による撮影」の解説
1897年1月に稲畑に伴って来日したコンスタン・ジレルは、日本で最初に映画撮影を行った人物となった。ジレルは同年11月に離日するまでに、稲畑の家族の食事風景、名古屋駅の列車の到着、アイヌの踊り、剣道、東京や京都の街頭風景などを撮影した。ジレルの撮影作品の中には歌舞伎役者が出演した芝居を撮影した作品も存在する。例えば、初代市川左團次の「丸橋忠弥」や、初代中村鴈治郎、初代市川右團次、初代中村霞仙、実川延三郎、四代目中村芝雀の5人が演じただんまりが撮影された。1898年10月にはガブリエル・ヴェールが日本を訪れ、翌1899年3月に離日するまでに、芸者の踊りや農民の労働風景などを撮影した。しかし、ヴェールが訪日した頃はすでに、小西写真店の従業員の浅野四郎がB&Wシネマトグラフを使用して日本橋や浅草観音の光景を撮影するなど、日本人による映画撮影が行われていた。 リュミエール社カタログに記載された日本での撮影作品は33本存在し、そのうちジレルが18本、ヴェールが10本の作品を撮影した。残る5本はジレルとヴェールが日本に滞在していない時期に撮影されたものであり、この時期にほかのフランス人が撮影に訪れたという資料もないことから、日本人が撮影したと考えられている。小松弘の調査によると、その撮影者は三越写真部員だった柴田常吉であるという。日本で撮影された33本のうち29本のポジフィルムは、1960年にフランスの文化相アンドレ・マルローが東京国立近代美術館フィルムセンター(現在の国立映画アーカイブ)に寄贈し、同館が『明治の日本』というタイトルで所蔵しており、テレビ番組の制作等にも二次使用されてきた。
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