リュミエール社技師による撮影とは? わかりやすく解説

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リュミエール社技師による撮影

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:31 UTC 版)

シネマトグラフ」の記事における「リュミエール社技師による撮影」の解説

1897年1月稲畑伴って来日したコンスタン・ジレルは、日本最初に映画撮影行った人物となったジレル同年11月離日するまでに、稲畑家族食事風景名古屋駅列車到着アイヌ踊り剣道東京京都街頭風景などを撮影したジレル撮影作品中には歌舞伎役者出演した芝居撮影した作品存在する例えば、初代市川左團次の「丸橋忠弥」や、初代中村鴈治郎初代市川右團次初代中村霞仙実川延三郎四代目中村芝雀の5人が演じただんまり撮影された。1898年10月にはガブリエル・ヴェール日本訪れ、翌1899年3月離日するまでに、芸者踊り農民労働風景などを撮影した。しかし、ヴェール訪日した頃はすでに、小西写真店従業員浅野四郎B&Wシネマトグラフ使用して日本橋浅草観音光景撮影するなど、日本人による映画撮影が行われていた。 リュミエールカタログ記載され日本での撮影作品33存在しそのうちジレル18本、ヴェール10本の作品撮影した。残る5本はジレルヴェール日本滞在していない時期撮影されたものであり、この時期にほかのフランス人撮影訪れたという資料もないことから、日本人撮影した考えられている。小松弘の調査によると、その撮影者は三越写真部員だった柴田常吉であるという。日本撮影され33本のうち29本のポジフィルムは、1960年フランスの文化アンドレ・マルロー東京国立近代美術館フィルムセンター現在の国立映画アーカイブ)に寄贈し、同館が『明治日本』というタイトル所蔵しており、テレビ番組の制作等にも二次使用されてきた。

※この「リュミエール社技師による撮影」の解説は、「シネマトグラフ」の解説の一部です。
「リュミエール社技師による撮影」を含む「シネマトグラフ」の記事については、「シネマトグラフ」の概要を参照ください。

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