マルタ船団とタイガー作戦(MD.4作戦)
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「アーク・ロイヤル (空母・初代)」の記事における「マルタ船団とタイガー作戦(MD.4作戦)」の解説
アーク・ロイヤルは、4月は変わって船団の航空支援とマルタへの航空機配送を担い、大西洋に入って通商破壊艦の捜索を行った(MD.4作戦)。1941年5月まで、エルヴィン・ロンメルのアフリカ軍団は北アフリカを通ってスエズ運河に向かっており、前面の西部砂漠軍を押していた。イギリス軍は崩壊に近くなり、戦略的な場所が脅かされると、イギリス軍高司令部は地中海を越えてアレクサンドリアに補強護送隊を送る危険を冒した。船団は5隻の大型輸送船からなり、アーク・ロイヤル、巡洋戦艦レナウン、戦艦クィーン・エリザベス、軽巡シェフィールド、ナイアド、フィジー、グロスターが護衛し、第5駆逐艦小隊が取り巻いた。アーク・ロイヤルの出発前、ホランド艦長はストレスや体調不良から回復するために艦を降り、代わりにロベン・マウンド(Loben Maund)が艦長に着いた。船団は5月6日にジブラルタルを離れ、イタリア航空機によって発見された。船団は14ノット(26km / h; 16mph)に制限されており、非常に多くの主要艦船で護衛されてはいたが、イタリアとドイツの航空機が動員されたように魅力的な目標だった。 イギリス護送隊は、5月8日に最初はイタリア空軍によって、その後ドイツ空軍に空爆された。その日は、アーク・ロイヤルのフェアリー・フルマー12機(使用可能な最大数)はシェフィールドからのレーダーからの標的情報、対空砲火の支援を受けて、50機以上の敵機を追い払った。第一波で、フルマー1機が失われ、ルパート・ティラード(Rupert Tillard)飛行大尉とマーク・サマービル(Mark Somerville)中尉が死亡した。もう1機は搭乗員の入れ換え時に破壊され、他の数機も損傷を受けた。したがって、僅か7機のみが主敵ドイツ空軍34機に直面できた。夕闇直前の攻撃は、2機の航空機と艦の対空砲火で凌いだ。船団は深刻な損傷を受けることなく生き残った:唯一の死者は機雷によるもので、エンパイア・ソング(Empire Song)は沈み、ニュージーランド・スターは被害を受けたものの港に辿り着いた。アーク・ロイヤルはジブラルタルへの復路5月12日、別の航空攻撃を受けた。その月の後半に、同空母と空母フューリアスはマルタ支援のためのホーカー・ハリケーン配送を行った。
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