マミヤシックスシリーズ
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「マミヤ・オーピーのカメラ製品一覧」の記事における「マミヤシックスシリーズ」の解説
いわゆる距離計連動式スプリングカメラ。レンズ固定、6×6cm判。他のカメラは一般にレンズを前後に動かして焦点調節を行うが、マミヤシックスシリーズではフィルム面を前後に動かすバックフォーカス方式を採用した。圧板が着脱式のため中古を入手する際にはちゃんと圧板が付属しているかがチェックポイントの一つとなる。戦争激化に伴い一時製造中止されたが戦後復活、1959年12月まで製造された。日本がアメリカ占領下にあった時期に生産されたモデルには「Made in occupied Japan」と刻印された個体がある。当時のマミヤ光機はユーザーの要望によく応え、シャッターつきの7.5cmレンズを持ち込めばそれを取り付けて製造したり、特注でカール・ツァイス製のテッサー10.5cmF4.5やテッサー135mmを装着したものもあるが、その改造をすると折り畳み機構が失われる。戦前モデルの発売年には異説がある。機種名表記は当初「MAMIYA-SIX」であったが、マミヤシックスIV型以降「MAMIYA-6」となっている。 マミヤシックスI型(1940年発売) - 一眼式連動距離計と、ウェストレベル撮影用反射ファインダーを併設する。レンズは3群3枚上代光学製KOLトリオ7.5cmF3.5またはKOLスペシャル7.5cmF3.5、シャッターはNKSラピッドB、1〜1/200秒。フィルムは一枚目を赤窓で出し、後は自動巻き止め。 マミヤシックスII型(1940年発売) - レンズは3群3枚上代光学製KOLスペシャル7.5cmF3.5。 マミヤシックスIII戦前型(1941年発売) - マミヤシックスII型から閃光同調を省いた機種。レンズはKOLEXアナスチグマット7.5cmF3.5。 マミヤシックスIA型(1943年発売) マミヤシックスIIA型(1943年発売) マミヤシックスIII戦後型(1947年発売) - レンズはこの型からDズイコー7.5cmF3.5。 マミヤシックスIV型(1947年10月発売) - この機種から軍艦部機種名表記が「MAMIYA-6」となった。反射ファインダーが廃された。連動距離計がユニット化された。 マミヤシックスV型(1953年11月発売) - 6×6cm判と6×4.5cm判の切替可能となった。6×4.5cm判として使うにはボディー内サイズ変換マスクをセットし、巻取ノブ基部にあるレバーをセミ判に合わせ、ファインダーマスクを視野前面にスライドさせる。 マミヤシックスK型(1954年8月発売) - マミヤシックスV型の廉価版で自動巻き止めだったフィルム送りが赤窓式になっている。レンズは3群3枚のセコールT7.5cmF3.5。 マミヤシックスIVB型(1955年5月発売) - マミヤシックスIV型の改良機ではなく全くの新製品として設計されたため外観がスマートである。 マミヤシックスオートマット(1955年12月発売) - スプリングカメラでオートマット機構を備えた機種は極めて珍しく、本機の搭載が世界初である。レンズはDズイコー75mmF3.5。シャッターはセイコーシャで最高速1/500秒。 マミヤシックスKII型(1956年8月発売) - 6×6cm判と6×4.5cm判の切替可能である。使わない方の赤窓を塞ぎ、ファインダーマスクをして使用する。距離計窓が角形になった。 マミヤシックスIVS型(1957年10月発売) マミヤシックスP型(1957年12月発売) - 廉価版でPはポピュラーの意。シャッター最高速は1/300。 マミヤシックスオートマット2型(1958年7月発売) -マミヤシックスオートマットのファインダーに撮影範囲を示す枠が付いた製品で、レンズは自社製のセコール7.5cmF3.5(3群4枚)。
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