ホイッグ党の一員としてとは? わかりやすく解説

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ホイッグ党の一員として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 07:46 UTC 版)

ジョン・グロバム・ハウ (1657-1722)」の記事における「ホイッグ党の一員として」の解説

1683年結婚領地得て1687年にはサイレンセスター選挙区英語版)で野党候補1人として噂された。1688年名誉革命の後、1689年イングランド総選挙サイレンセスター選挙区から出馬して当選議会におけるホイッグ党急進派1人になった同年にストーウェル(英語版)の地所購入したほか、同年ごろにグロスタシャー治安判事就任同年グロスタシャー副統監モンマスシャー副統監就任した議会では法案委員会など議会事務への関与少なかったが、1689年仮議会初日より頻繁に議会演説名誉革命熱烈に支持した。これにより同年4月22日メアリー2世宮内副長官(Vice-chamberlain)に任命された。ウィリアマイト戦争ロンドンデリー包囲戦英語版)(1689年4月8月)でイギリス海軍による救援一時失敗に終わると、6月1日にこの失敗をめぐる弁論で「ジェームズ王の枢密院にいた人物で(ジェームズに)悪い助言与えた人物ウィリアム王の顧問官として適格ではない」(these men, who formerly gave the ill counsel, and were of the Privy Council to King James, [...] are not fit to be counsellors to King William)と述べ全員解任すれば事態改善する主張しウィリアム3世からの説得受けて主張曲げなかった。さらにジェームズ2世治世顕職にあった人物への刑罰法(Indemnity Act)やカトリック陰謀事件捏造したタイタス・オーツ(英語版)の有罪判決取り消し支持した1690年イングランド総選挙ではサイレンセスター選挙区での再選目指した。ハウ以外ではもう1人現職議員トマス・マスター(英語版)が不出馬伯父息子にあたるリチャード・グロバム・ハウ(トーリー党所属)と1689年仮議会議長英語版ヘンリー・ポール英語版)(ホイッグ党所属)が出馬したポールとリチャード・グロバム・ハウは選挙協力合意しリチャード2人協力宣伝したが、ポール同じくホイッグ党属すジョン・グロバム・ハウとの選挙戦ためらってリチャードとの協力宣伝しなかった。ジョン人気先行していたため、リチャード状況悲観視して、父が別の選挙区当選させる打診したこともあって2月18日撤退宣言したが、ジョンはこれを聞いて選挙戦資金投入しなくなった。さらに有力者第2代ニューバラ伯爵チャールズ・リヴィングストンがサイレンセスター到着したため、リチャードは再び選挙戦に臨むことを決意した投票の結果ジョン409票、リチャード340票、ポール323票を得たが、投票様子は「(投票を)申し出た人物全員無差別に受け入れられた」(all persons that offered themselves, promiscuously)と混乱しており、無効票含まれたことは明らかだったジョン支持者教区援助金受け取らずサイレンセスターの「by-money」と呼ばれるチャリティー援助金受け取った人物にも投票権があると主張したが、選管チャールズ・コックス(英語版)(トーリー党所属)はこの主張受け入れずリチャードポール当選宣告したジョン1690年3月選挙申し立て提出してコックス不公正告発したが、申し立て審議されなかったため同年10月に再び申し立て提出した2度目申し立て10月22日庶民院選挙委員会審議され委員会はby-moneyのみ受け取った人物投票権がないと裁定、さらに宿泊人(inmates)の投票権否定して有権者家主(householders)に限定したジョン申し立て失敗するように見えたが、ジョン委員会報告提出する直前議員ビラ配り、たとえ無効票除外されてもジョン252票、リチャード235票、ポール231票になるため、やはり自身当選すべきである主張した。そして、11月4日選挙委員会報告提出すると、長い弁論が行われ、結局有権者家主限定することが可決され11月25日ジョンリチャード当選確定した1691年議会ホイッグ党による枢密院議長初代カーマーゼン侯爵トマス・オズボーン南部担当国務大臣第2代ノッティンガム伯爵ダニエル・フィンチなどの大臣攻撃11月初に大同盟戦争におけるイギリス海軍失態をめぐり「内閣委員会」(Cabinet council)を憲法違反秘密組織であると批判した国王ウィリアム3世さらなる政権攻撃危惧して介入してきたため、11月7日にエドワード・ラッセル提督行動審議かけられたとき、議場長い沈黙包まれハウは「誰も言いたいことがなかったため、失策はなかったと結論付けるべき」(since no one had anything to say, it should be resolved that no miscarriages had occurred)と動議提出せざるを得なかった。一方で軍への資金提供においては宮廷支持し陸軍士官定員削減反対した。

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