ブラックソックス‐じけん【ブラックソックス事件】
読み方:ぶらっくそっくすじけん
《Black Sox Scandal》米国メジャーリーグで起きた八百長事件。1919年のワールドシリーズで、シカゴ‐ホワイトソックスの選手8名が、八百長への関与により刑事告訴され球界から永久追放された。→アンラッキーエイト
ブラックソックス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 06:52 UTC 版)
ブラックソックス事件(Black Sox Scandal)は、1919年、メジャーリーグベースボール(MLB)のワールドシリーズで発生した八百長事件。
- ^ Douglas Linder The Black Sox Trial: An Account
- ^ "This is the Truth!" Joe Jackson
- ^ “Lefty Williams - BR Bullpen” (英語). Baseball-reference.com. 2013年10月22日閲覧。
- 1 ブラックソックス事件とは
- 2 ブラックソックス事件の概要
- 3 「嘘だと言ってよ、ジョー!」
- 4 この事件をテーマにした作品
ブラックソックス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 09:34 UTC 版)
「シカゴ・ホワイトソックス」の記事における「ブラックソックス事件」の解説
「ブラックソックス事件」も参照 1918年は6位と低迷してしまうが、翌1919年には88勝52敗で4度目のリーグ優勝を果たした。しかしこのようなチームの好成績とは裏腹にチーム内では低水準の給与体制に対する不満がくすぶっていた。オーナーであるコミスキーは選手のユニフォームの洗濯代でさえ渋ったといわれ、どの選手のユニフォームも黒ずみ、当時のホワイトソックスは「ブラックソックス」とあだ名されていた。こうした事情を知ったシカゴの賭博師たちは、シンシナティ・レッズとのワールドシリーズの前に、ホワイトソックスの選手たちに対して八百長試合を持ちかけた。一塁手だったチック・ガンディルがまずこの話に乗ったといわれ、その後、シーコット、ジャクソンを含む7人の選手が八百長に加担することとなった。 結局シリーズは3勝5敗でレッズが勝利したが、シリーズ中から八百長疑惑が取り沙汰されたことに加え、この年の終わりには暴露記事が書かれたことで、八百長は公のものとなった。1年後には大陪審で問題となった選手たちが証言を行い、情状酌量から一度は無罪となったが、これを契機に創設されたコミッショナーによって、上記選手を含む8人がMLBから永久追放となった。永久追放となった選手たちは「アンラッキー・エイト(悲運の8人)」と呼ばれ、ファンの少年がジョー・ジャクソンに対して問いかけた「Say it ain't so, Joe(セイ・イット・エイン’ト・ソー、ジョー;嘘だといってよ、ジョー)」という言葉はこの事件を象徴する言葉となった。ただし、この少年に関する逸話は創作であるという見方もある。 1919年に起こった「ブラックソックス事件」で上記選手を含めた8人の永久追放選手を出し、それ以降は低迷が続いた。1920年代に入るとベーブ・ルースを獲得したニューヨーク・ヤンキースがア・リーグの盟主として君臨するようになり、ホワイトソックスはその影に隠れることとなった。1930年代後半を除いて勝率5割を上回ることも稀になり、同じく低迷していたレッドソックスやフィラデルフィア・アスレチックス(現:オークランド・アスレチックス)と最下位争いを続けた。その間、通算260勝のテッド・ライオンズや遊撃手としてのシーズン最高打率.388を記録したルーク・アップリングといった名選手も在籍したが、1950年代まで優勝とは縁がなかった。俗にいうブラックソックスの呪いである。
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ブラックソックス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:56 UTC 版)
「1920年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ブラックソックス事件」の解説
前年のワールドシリーズの八百長疑惑(ブラックソックス事件)が深まるなかで、シカゴ・ホワイトソックスの行く先々でファンに罵声を浴びせられるようになった。アメリカン・リーグのバン・ジョンソン会長は事態を憂慮して調査に乗り出した。一方シカゴ・ホワイトソックスのオーナーであるチャールズ・コミスキーはこれらの風評の真偽を確かめるためにクロの証拠を提示できる者に2万ドルの報奨金を与えると言明する始末であった。そうした中で、ジョンソン会長の調査から元アメリカン・リーグ投手で八百長に関係していたとみられるビル・バーンズの居所を突き止め彼の証言をシカゴのチャールズ・マクドナルド判事に提出した。ほぼ同じ頃にこの八百長疑惑の賭博に関係していた人物が内幕を暴露したインタビュー記事がフィラデルフィア・ノース・アメリカン紙に掲載され、ジョー・ジャクソン、エディ・シーコット、レフティ・ウィリアムズらホワイトソックスの8人の選手が八百長行為に加担していた事が明らかになった。9月28日にシカゴ高等裁判所はこの8人の告訴に踏み切り、アメリカの野球史上最大のスキャンダルが明るみに出た。 一方野球界の秩序を守るために1903年に設立されたナショナル・リーグとアメリカン・リーグを統括するナショナルコミッション(全国委員会)の委員長オーガスト・ハーマン(シンシナチ・レッズのオーナー)はこの年2月に辞任し、空席のままこの年のシーズンを送り、事実上ジョンソン会長の運営に任された状態であったが、このホワイトソックスの事件を法廷に持ち込んだことにアメリカン・リーグの3球団(ニューヨーク・シカゴ・ボストン)とナショナル・リーグの全8球団がジョンソン会長に反発して、11月8日に1903年の全国協定の破棄と新しいナショナルコミッションの委員長にランディス判事を就任させるよう要求した。 ケネソー・マウンテン・ランディス判事はこれより5年前に第3のリーグとして設立されたフェデラル・リーグがナショナル及びアメリカン両リーグを「シャーマン反トラスト法」(独占禁止法)違反で訴えた際に、担当判事として審理し、最後はフェデラル・リーグを両リーグに合併させることで和解に持ち込んだその手腕を球団オーナーたちは高く評価していたのである。 そしてジョンソン会長がこれを拒否すると賛成する11球団で新リーグを立ち上げ、デトロイトにもう1つの球団を創設すると言明した。これにジョンソン会長を支持していたデトロイト・タイガースが態度を変えてランディス判事の就任に賛成に回ったため、12月12日にケネソー・マウンテン・ランディス判事が任期7年で年俸5万ドルでナショナルコミッションのトップに選出された。 しかし翌年ランディスはこの就任要請にあたって条件をつけ、また夏に出された事件の判決に際して、誰もが予想していなかった判断を示した。
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