フジ~セア時代のミスター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 03:00 UTC 版)
「飯塚将光」の記事における「フジ~セア時代のミスター」の解説
英国トライアンフ社の倒産、1983年の工場閉鎖により、1980年代後半トライアンフの部品はイギリスまで出向かないといけない程入手困難となった。そして、その間隙を縫ってデビューしたのがフジ二気筒である。飯塚は誰よりも早くこのフジニ気筒を導入する。トラへのこだわりが全く無かった訳ではないが、後の「フジでなければ勝てない」という状況に対応する為、苦渋の選択でもあったとも言える。 フジへ乗り替えた飯塚は、当時の特別競走(現在のSG競走)の三大タイトルを全て制覇するなど、トラ時代程ではないが、素晴らしい活躍を見せる。1993年エンジンがセアへ統一されてからは一度もSGを優勝していない。セアは若手選手でも順応しやすいエンジンで、オートレースで勝つための要素が次第に「強さ」から「速さ」へ移行してく過渡期でもあった。この高速化の流れに飲み込まれるかの様に、飯塚の強靭な走りは影を潜めてしまう。セア乗り換え後は往年の絶対的強さには及ばないものの存在感を発揮することは多く、時折往年の強さの片鱗を見せることがあり、第9回G1全国地区対抗では当時圧倒的な強さを誇った片平には敗れたものの準優勝、2006年には第25回オールスターオートレース優出(優勝戦は失格)等の戦績を残した。
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