ピース川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:30 UTC 版)
「ローレンス・S・ロス」の記事における「ピース川の戦い」の解説
10月下旬から11月、コマンチ族のノコナ・バンドのペタ・ノコナたちコマンチ族戦士が、彼らの領土に入り込んだ入植者に対して多くの襲撃を行い、甚だしい時は妊婦を残酷に殺した。これらの出来事を聞いたヒューストンはロスを援助するために25名ほどの中隊を派遣した。住民の民警団がピース川沿いの野営地に襲撃者がいることを突き止めていた。その集落には少なくとも500名の戦士と多くの女子供が居たので、民警団は志願兵を集めるために入植地に戻った。ロスはキャンプ・クーパーにいるアメリカ陸軍に救援を求め、21名の兵士が派遣された。 12月11日にその兵士達が到着した直後に、ロスと39名のレンジャーズがコマンチ族の野営に向けて出発した。12月13日、彼等は民警団の面々に出逢い、部隊は69名になった。数日間移動したあと、進行速度が速いことと飼料をあまり手に入れられなかったことで、民警団は停止してその馬を休めるしかなかった。レンジャーズと兵士達は行軍を続行した。彼等が集落に近付くと、ロスが自ら前方を偵察した。砂嵐に紛れてティーピーの野営から180mまで近付き、コマンチ族が移動の準備をしている兆候を見ることが出来た。 長い行程でその馬が疲れていることを認識したロスは、民警団が合流するのを待たずに、即座に攻撃することを決めた。ロスは尾根を駆け下りるレンジャーズを率い、兵士達は回り込んでコマンチ族の退路の遮断に動いた。 ノコナ・バンドの男たちはほとんどがちょうどバッファロー狩りに出かけており、女たちは冬の備えの干し肉を作っていた。ロスの指揮する奇襲によって、女子供を中心としたコマンチ族の多くが虐殺され、多数が捕虜にされた。激しい虐殺の後で、コマンチ族は戦況不利とみて逃亡した。ロスとその隊士の何人かが命令を与えていた酋長とそれに続く名を知らない騎手を追った。 レンジャーズが接近するとその騎手(女性)は歩みを緩め、頭上に1人の子供をかざした。部隊兵は銃で撃たずに取り囲んでその騎手を停止させた。ロスは酋長の追跡を続け、最後は3度酋長を撃った。その酋長は馬から落ちた後も降伏を拒んだ。ロス隊の厨房長であるアントン・マルティネスは、メキシコでノコナ・バンドがその家族を殺した後で捕虜になっていたことがあり、その捕まえた酋長がノコナの戦士であるとわかった。ロスの許可を得たマルティネスはそのノコナ・バンドの男を撃ってその命を奪った。これがこの戦闘で戦死した唯一のコマンチ族男性だった。コマンチ族の13人の女性が殺された。ロス隊には死傷者がいなかった。 民警団はこの女ばかりを虐殺した戦闘が終わったときに戦場に到着した。彼等は当初ロスの戦勝を祝ったが、その中には後に、ロスが民警団無しに先を急ぎ、戦闘の栄光と戦利品を分け合わなかったとこぼす者がいた。 ロスたちは「酋長が命令を与えていた」と思っているが、インディアンの社会には誰かに命令するような立場は存在しない。また「酋長」は「調停者」であって「戦闘指導者」でも「指揮官」でもない。ロスが酋長だと考えているのは戦士のことである。 ロスが宿営地に戻ると、捕まえた女性が白人の顔をし、青い瞳をしていることに気付いた。この女性は英語を話せず、自分の名前もどこから来たかも知らなかった。いろいろ尋ねていると、彼女が子供の時に捕まった詳細を思い出した。その詳細はロスが知っていた1836年のパーカー砦の虐殺に一致していたので、その女性をキャンプ・クーパーに送り、叔父のアイザック・パーカー大佐に彼女を識別するよう要求した。パーカーはその誘拐された姪がシンシア・アン・パーカーという名前だったと言ったとき、その女性は胸を叩いて「私、シンシー・アン」と言った。シンシア・アンは夫や子供たちのいるコマンチ族のもとに帰りたがったが許されず、ロスに救出されたことで幸福とは言えなかった。娘を病で失い、コマンチ族の下へも帰れないと知ったアンはのちに自殺している。 テキサスでは、このピース川の戦いでロスの名声が確固たるものになった。コマンチ族式の攻撃的な戦術を採り入れたこの奇襲は、インディアンに対するこれまでの生半可な攻撃を終わらせた。」しかし、ロスの死後、ノコナ・バンドの大戦士クアナは、その父が戦闘のときには居らず、その3、4冬後に死んだと主張した。クアナはマルティネスが撃った男はノコナの妻シンシア・アン・パーカーの個人的従僕だったメキシコ人捕虜だったと同定した。白人たちはノコナ・バンド(集団)とノコナという戦士を混同しているのである。 ロスはピース川地域を離れるときに、高い草の中に1人で隠れている9歳のインディアン少年を見付けた。ロスはその少年を拉致しピースと名付けた。ピースは後に部族に戻る選択を与えられたが、常にそれを拒みロスに育てられた。
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