バラージュの青ひげ
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青ひげの物語はシャルル・ペローにより確立されたが、バラージュの台本のきっかけとなったのは、モーリス・メーテルリンクの戯曲であるといわれている(この戯曲でポール・デュカスはオペラ『アリアーヌと青髭』を作曲している)。そもそもペローの物語やメーテルリンクの物語では、話は次のようになっていた。青ひげは外出するという理由で新しい妻に7つの扉の鍵をあたえ、最後の扉は決して開けてはならないと言い残して出かける。妻は誘惑にかられその禁を破る。その後の展開は、ペローの場合、妻は前妻が殺されていたことを発見し、兄弟たちに救出される。あるいはメーテルリンクの場合は、前妻が幽閉されていたことを知り説得するが失敗、自分は城から出て行く。 バラージュは、青ひげを妻ユディットに常に付き添わすことで、青ひげの苦悩をも描き出し、猟奇的で得体の知れない青ひげのイメージを背景に押しやり、男と女の葛藤に焦点を移した。そして血のイメージを全ての扉へ持ち込んで、形式感も作り出し、オペラとしての緊迫感も与えた。青ひげは本当は扉を開けさせたがっているのではないかといった、解釈の多様性も生まれた。またバルトークらと同じく民謡からの影響下でテクストを書いており、そのためバルトークは旋法性やアクセントの付け方など、自らの民謡経験を生かすことができた。しかしそのため他の言語に歌詞を置き換えることが困難となり、あまり舞台で取り上げられない一因ともなった。また舞台上の動きに乏しい(基本的に7つの扉の前で2人が歌うだけである)、特にこれといった事件が起きないという根本的な問題もあり、オペラとして上演されにくい要因と言われる。 戯曲の日本語訳は以下の単行本に収録されている。 『青ひげ公の城 ハンガリー短編集』(恒文社) ISBN 978-4770409621
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