ニルソンをめぐる逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 21:41 UTC 版)
「ビルギット・ニルソン」の記事における「ニルソンをめぐる逸話」の解説
ニルソンの強靭な声、率直な人柄は多くのユーモラスな逸話を残した。 お気に入りの役柄は何かと尋ねられて曰く「イゾルデとトゥーランドット。イゾルデは私を有名にしてくれ、トゥーランドットは金持ちにしてくれたわ 」 メトロポリタン歌劇場(メト)の総監督、ルドルフ・ビングは「ニルソンは仕事をし難い歌手ですか」と聞かれ、「とんでもない。彼女は機械みたいなものさ。カネをたっぷり突っ込めば、素晴らしい歌声が出てくる」 一方、ニルソンは納税申告書類に記すべき扶養家族の有無を問われて「たった一人ね。『ルドルフ・ビング』」 名テノール、フランコ・コレッリとの組み合わせでの、メトでの『トゥーランドット』第2、第3幕での高音の競演もまた有名だった。ある夜、ニルソンは第2幕の高い「ド」の音でコレッリより長く高音を保つことに成功、満場の喝采を集め、コレッリは憤慨した。コレッリは次の休憩時間にルドルフ・ビングに詰め寄り「もう公演を続けるつもりはない」と言った。コレッリのかんしゃくのあしらい方を知っていたビングは、続く第3幕フィナーレの二重唱で、ニルソンのトゥーランドット姫に接吻するかわりに、首を噛んで報復することを提案した。 コレッリは彼女を噛まなかった(一説には、実際に耳に噛み付いたという)が、ビングのアイデアをとても喜んで、ニルソンに話した。ニルソンはビングに「狂犬病に感染したので」と電報を打って続く2回の公演をキャンセルした。 別バージョンの逸話。その後コレッリは第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」を素晴らしく歌い上げ、聴衆の支持を取り戻した。引き続く二重唱でトゥーランドット姫が「私の栄光の日々は終わった (La mia gloria è finita.) 」と歌い、カラフ王子が「いいや、それは今から始まるのだ (No! Essa incomincia!) 」と応じるべきところ、コレッリは「そう、これでもう終わりだ (Si! Essa finisce!) 」と歌ったという。 ヘルベルト・フォン・カラヤンとニルソンの仲はあまりよくなっかたようである。カラヤンが指揮ばかりでなく演出も行う『トリスタンとイゾルデ』にニルソンも参加した。ピアノ・リハーサルにやってきたニルソンの真珠のネックレスが切れ、真珠が四方に散乱してしまい、みんなで協力して拾い集めた。一段落してカラヤンが「君のスカラ座の法外なギャラでしか買えない、本物の素晴らしい真珠なんだろうねぇ」、ニルソン応えて曰く「いいえ、これはカラヤンさんに横取りされるので雀の涙ほどでしかない、このウィーンのギャラでも買える模造品よ」 カラヤンが指揮する『ワルキューレ』において、リハーサルのためにニルソンが初めてメトに来たとき、彼女は「ハービーはどこ?」と言った。(“ハービー”とは“ヘルベルト”の英語読みの愛称であるが、当時流行のアメリカンコミックの不格好な主人公の名でもある) 1967年カラヤン演出『ワルキューレ』の舞台リハーサル。照明を落とし暗闇のような舞台だったので、ニルソンは鉱山労働者のヘッドランプ付きのヘルメット(ワルキューレの翼付き)をかぶって登場した。 カラヤンはニルソンに数ページに及ぶ電報を送ったことがある。その中には様々な公演の日程やオペラの演目が書かれていた。ニルソンからの返信はたった2語のみだった。「忙しい。ビルギット」 ニルソンがメトでアイーダを歌い始めたとき、それまでアイーダを歌っていたソプラノのジンカ・ミラノフは憤慨した。あるニルソンの公演の後、ミラノフはニルソンのロールス・ロイスを奪って走り去った。このことについて後で尋ねられたミラノフは「ニルソンが私の役(英語:ロールズ)を奪うなら、私は彼女のロールスを奪わなければならない」と言った。 イゾルデを歌う秘訣は「快適な靴」だと彼女は言った。オーストラリアのソプラノジョーン・サザーランドとは意見が合わなかった。その後でニルソンはサザーランドの有名なふっくらした髪が本物だと思うか尋ねられた。ニルソンは答えた。「わかりません。私はまだそれを引っ張っていませんから」。
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