ナチスの時代(1933年 - 1945年)
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「反ユダヤ主義」の記事における「ナチスの時代(1933年 - 1945年)」の解説
「ナチ党の権力掌握」を参照 1932年11月ドイツ国会選挙でナチ党は第一党は確保したが、前回比200万票を減らし議席数も230から196に減った。支持を伸ばしたのは共産党とドイツ国家人民党だった。ヒンデンブルク大統領は変わらずヒトラーを嫌っていた。 1932年12月1日、ヒンデンブルク・シュライヒャー・パーペンの三者会談で、シュライヒャーは自分を中心とする内閣を提案し、一方のヒンデンブルクはお気に入りのパーペンに組閣を依頼したが、シュライヒャーは非常事態を宣言して憲法違反を犯す計画がなされてしまえば内戦になることは避けられないし、ストライキと混乱が起きると軍は国境を防衛できないと大統領に忠告したため、大統領は不承不承ながらシュライヒャーを首相に任命した。シュライヒャーはヒトラーに協力を求めたが拒絶されたため、ヒトラーの右腕で現実的穏健派だったグレゴール・シュトラッサーに副首相として入閣を打診した。しかし、ヒトラーらがシュトラッサーを非難すると、シュトラッサーは党の全役職を辞任し、ナチ党は結党以来最大の分裂の危機を迎えた。ヒトラー、ゲッベルス、レーム、ヒムラーらは、シュトラッサーの作った組織を廃止して、大管区指導者をヒトラーが直接指導する体制を作り上げ、党内ではヒトラー支持のキャンペーンが実施された。シュトラッサーは1934年の長いナイフの夜でレームと一緒に殺害された。12月初頭のテューリンゲン州の町村議会選挙でナチ党は壊滅的な結果に終わった。 パーペンはシュライヒャーに政権を追われたことから、自分を副首相とすればヒトラーの首相就任に働きかけるとヒトラーに提案し合意した。シュライヒャー首相は輸入関税に消極的であるとして農村同盟から闘争を宣言され、さらにドイツ国家人民党からも抵抗を宣言されたため、1933年1月28日に内閣総辞職した。パーペンによる閣僚リストでは外相ノイラート、財務相クロージク、運輸郵政相リューベナハはシュライヒャー内閣からの引き継ぎで、プロイセン内相にゲーリング、経済相に国家人民党アルフレート・フーゲンベルクだった。ヒトラーはパーペンを副首相とすることを認めたため、ヒンデンブルクもヒトラー内閣を承認した。懸念に対してパーペンは「われわれはヒトラーを雇ったのだ」と語り、またヒトラーの就任に反対した鉄兜団に対してフーゲンベルクはヒトラーの封じ込めは可能だと反論した。ヒトラーは選挙後に大統領の同意に頼らないようにするための全権委任法を通すとパーペンに伝え、頻繁な国会選挙を望まないパーペンとヒンデンブルクも了承した。 こうして1933年1月30日、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)、ドイツ国家人民党、鉄兜団の連立内閣ヒトラー内閣が誕生した。副首相にドイツ国家人民党のパーペンが就任した。ヒンデンブルク大統領は国民的右翼勢力が遂に結束したことを歓迎した。ヒトラーはその日の夕方、閣僚に対して、共産党を禁止すればゼネストとなり軍の動員となるがそれは避けたい、最善の策は国会を解散し次の選挙で政府が過半数をとることだと主張した。パーペンとヒンデンブルクは国民による承認の必要性ということから選挙を承認した。選挙にあたってヒトラーは、パーペン内閣が準備していた「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発効させ、メディアや集会を押さえ込むために活用された。2月1日、ヒトラーはラジオ演説で、1919年のドイツ革命以来14年間、共産主義によってドイツ国民は汚染され、このままではドイツは崩壊すると警告し、経済政策によって苦境を克服すると述べた。 2月27日、元オランダ共産党のルッベが国会議事堂に放火するドイツ国会議事堂放火事件が発生した。放火は単独犯だったが、ナチ党は共産党による組織的暴動とみなし大弾圧を開始、4月までにプロイセンだけで約2万5000人が拘禁された。2月28日「国民と国家の保護のための大統領緊急令」を出し言論と集会の自由を制限し、秩序回復のためには州自治権よりも政府の干渉権が優先するとされた。こうしたヒトラー内閣の強硬策は各地で「ドイツの天敵であるボリシェヴィズムへの対決」として歓迎され、1933年3月ドイツ国会選挙でナチ党は288議席を獲得した。ただし、一方で社民党と共産党も議席を伸ばしてもいる。 大統領の意志に左右されることを忌避したヒトラーは1933年3月23日に授権法の一種である「国民および国家の苦境除去のための法(全権委任法)」を成立させた。この法案に対して社会民主党は批判したが、他の保守派は左翼を撲滅したいと願っていたため賛同した。
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