ジェームズ・ケネス・スティーヴン
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「切り裂きジャックと疑われた者たち」の記事における「ジェームズ・ケネス・スティーヴン」の解説
詳細は「ジェームズ・ケネス・スティーヴン(英語版)」を参照 ジェームズ・ケネス・スティーヴン(James Kenneth Stephen、1859年2月25日 - 1892年2月3日)はイギリスの詩人で、アルバート・ヴィクターの家庭教師。スティーヴン犯人説の初出は1972年に出版されたマイケル・ハリソンによるものである。ハリソンはヴィクターの伝記の中でヴィクター犯人説を否定し、代わりに、スティーヴン犯人説を提唱した。ハリソンの根拠は、スティーヴンが女性蔑視的な文章を書いていたことや、犯人本人が書いたとされる「地獄より」の手紙の筆跡と似ていたというものであった。加えて同性愛者のスティーヴンがヴィクターに性的感情を抱いていた可能性があり、彼の女性嫌いはヴィクターが異性愛者で、自分の気持ちに応えてくれなかった嫉妬心から生じたものだと推測した。しかし、ハリソンの分析はプロの文書鑑定家に反論された。また、スティーヴンがヴィクターの死の知らせを受けた直後に餓死したからといって、彼を好いていたという証拠にはならない。 フランク・スピアリングは、著書『Prince Jack』(1978年)でこの説をさらに発展させ、ヴィクターが犯人、スティーブンをその恋人として描いた。ただし、この本は、正当な歴史研究書ではなく、既にあった説を脚色したセンセーショナルな小説と見なされ、まともに受け入れられていない。スピアリングは、別に犯人説があるウィリアム・ガルの私的なメモのコピーをニューヨーク医学アカデミーの図書館で発見したと主張し、ここに催眠状態にあったヴィクターの自白があったとした。さらにヴィクターの死因は首相ソールズベリーと、実父エドワード7世の命令で投与されたモルヒネの過剰摂取だと示唆した。ニューヨーク医学アカデミーは、スピアリングが主張した文章の存在を否定しており、また、スピアリングに王立公文書館へのアクセス権が与えられた際には、彼は「私はファイルを見たくない」と反論している。
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