シリアとの係争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:27 UTC 版)
トルコとシリアの間にはこの地域をめぐって深い問題が根付いている。第一次境大戦終結から1938年までの間、ハタイはフランス委任統治領シリアのアレクサンドレッタ県か、イスケンデルン県として扱われてきたが、1939年のフランスによる国民投票でハタイのトルコへの割譲が決まったため、現在に至るまで解決されないトルコとシリアの緊張の原因となっている。ハタイ割譲への動きはシリア大統領ハーシム・アル=アターシー(英語版)の抗議の辞任を引き起こし、1936年のフランス・シリア独立条約の下でハタイ併合を拒否する状態を維持した。シリア人はフランスがトルコにハタイを割譲したことについて、これはトルコの軍事力のもとに行われたことであり、違法だとして、未だこの地域を不可分のシリア領と考えている。シリア人はこの地を自らの民族の言葉でリワー・アリスケンデルナ(Liwaaa aliskenderuna)と呼んでいる。また、イギリスのジャーナリストロバート・フィスクも当時の国民投票をいかさまだとしている。シリアのこの地への領土要求は最近弱まる傾向にあるが、現在でもシリアの公式地図ではこの地域はシリアのものとしている。また、シリアは近年までハタイ領土要求問題が両国の緊張の元となっていると認めなかった。 2000年以降、シリア大統領バッシャール・アル=アサドの主導下で、ハタイ問題をめぐる緊張は縮小しつつある。事実、2005年初頭にトルコ大統領アフメト・ネジデト・セゼルとレジェップ・タイイップ・エルドアン首相は、シリアを訪れ二国間協議への道を開いた際、シリア政府はこれ以上ハタイの主権に対して要求はしないと述べたと主張している。一方、主権の放棄についてシリア側からは今に至るまで公式な発表はない。 2003年にトルコの土地登録法が変更された結果、ハタイにおける所有地の多くは、シリア市民権を保持したままその占有する土地を買い1930年代から居住していたシリア人たちによって再び購入されることとなった。シリア人による土地所有の総計は外国人による所有の法的限界である0.5%を超えており、2006年にはハタイにおける外国人への土地の売却は禁じられた。 社会と経済のレベルで国境での方針については最近でも双方の意見が合わないことが多い。トルコ人もシリア人も国境によって家族が離散している者がある。この場合。クリスマスと祝祭日にのみ両国の国境を自由に越えられるようになっている。2007年12月には27000人のシリア人、トルコ人が同胞と会うために国境を越えている。
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