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サザンオールスターズ

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サザンオールスターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/01 08:58 UTC 版)

サザンオールスターズ
基本情報
別名 サザン、SAS
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル ロック
ポップ・ミュージック
J-POP
活動期間 1975年 -
(活動休止期間を除くと、1975年 - 1985年1988年 - 1993年1995年 - 2000年2003年 - 2006年2008年
レーベル Invitation(1978年 - 1992年)
SPEEDSTAR RECORDS(1992年 - )
事務所 アミューズ
共同作業者 高垣健
新田一郎
八木正生
藤井丈司
小林武史
角谷仁宣
影響 ビートルズ
エリック・クラプトン
リトル・フィートなど
公式サイト sas-fan.net
メンバー
桑田佳祐ボーカルギター
関口和之ベース
松田弘ドラムス
原由子キーボード、ボーカル)
野沢秀行パーカッション
旧メンバー
大森隆志リードギター
(1975年 - 2001年

サザンオールスターズSouthern All Stars, 台湾訳:南方之星,中国訳:南天群星)は、日本の音楽バンド略称は「サザン」。アクロニムで「SAS」と略記されることもある。

リーダー桑田佳祐[1]所属事務所アミューズレコード会社SPEEDSTAR RECORDSTAISHITAレーベル)。公式ファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」である。現在は無期限休止中。

目次

メンバー

元メンバー

概要

1978年のデビュー以来、30年以上の間日本ポップミュージックの第一線を走り続けるロックバンドとして知られる。楽曲は一般的には夏をイメージしたロック色の強いものからバラードなどが知られているが、他にもヒップホップ民族音楽郷土音楽からテクノ・デジタルロックまで幅広い要素を取り入れた楽曲があり、題材はセックス・郷土愛・ユーモア・社会風刺など多岐にわたり、こうした様々な要素を意欲的に取り入れる。シングルCD中心の日本においては保守的で売れ線の曲を中心で出すミュージシャンが大多数であるが、それとは逆に革新的で時に売れ線とはほど遠い曲をシングルCDで出すバンドでもある。こういった試みは時に売り上げ不振を招き、日本のトップバンドであるにもかかわらず長期的な売り上げ不振を何度か経験している珍しいバンドである(「TSUNAMI」の大ヒット以降はこういった傾向は見られなくなってきている)。

特筆すべきはサザンがデビューした当時の日本の曲は日本語の音節にメロディーをあわせて歌っていたが、デビュー曲の「勝手にシンドバッド」によりメロディーに日本語の音節をあわせて歌うという方法をもって、日本の歌謡界に大きな革命を与えたバンドである[2]

主な代表曲は1970年代では「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」、1980年代では「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」、1990年代には「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜‎」「愛の言霊 〜Spiritual Message‎」の4作品がミリオンセラーを達成したほか、2000年代に入っても「TSUNAMI」がシングルCD売上歴代1位の大ヒットを記録したり、「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎」「I AM YOUR SINGER」が50万枚以上売り上げるなど多数にわたる。1970年代から4つの年代全てで50万枚以上のヒット作を生み出し、うち3つの年代でオリコンチャート1位作品がある。

音楽活動について

  • シングル曲などほぼすべての曲の作詞・作曲を桑田が担当しているが、他メンバーが作詞・作曲をしている曲も存在する。また、編曲のクレジットは「Dear John」「心を込めて花束を」など一部の楽曲を除き、ほぼ全楽曲でサザンオールスターズ名義となっている。
  • 各メンバーがコーラスを担当し、野沢以外はメインボーカル曲が存在する。
  • 連名は基本的に桑田、大森、関口、松田、原、野沢の順で統一されており、大森独立後は桑田、関口、松田、原、野沢の順になっている。

来歴

各メンバーのソロ活動については個々のページ参照。

結成からデビュー以前

1975年頃、青山学院大学で活動が始まり[1]音楽サークルBetter Days”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される[1]。初期の頃は「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」「ピストン桑田と脳卒中」「桑田佳祐とヒッチコック劇場」など、奇抜なバンド名でコンテスト毎に何度もバンド名とメンバーを変更していたが[1]、最終的には原由子参加の際に桑田の青学時代の同級生である宮治淳一(現:ワーナーミュージック・ジャパンストラテジック本部シニア・チーフプロデューサー)が、サザン・ロックと、アメリカサルサ・グループ、ファニア・オールスターズを組み合わせた「サザンオールスターズ」を風呂の中で安易に思いつき、そのまま使用することとなった[3][4]。この「オールスターズ」には「これ以上バンド名を考えるのが面倒だった」という理由のほかに「(桑田以外の)メンバーチェンジがあってもいいよう、流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名」という意味もあり[3]、当初は“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていた時期も存在する[3]。「サザンオールスターズ」名義での最初のライブは公式ページには1976年4月11日と記されており、この時桑田は「じゃあ司会が『サザンオールスターズの皆さんです』と紹介したら出るんだな?」と段取りの確認を行っただけだったとされる。

幾度かのメンバーチェンジの後、1977年にアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest '77」に出場し桑田がベストボーカル賞を獲得。この頃には青学生ではなかった松田弘野沢秀行も加わり、メンバーはデビュー時の6人に固まった[1]。この編成は、サザン・ロックの雄・リトル・フィートの「リードギターサイドギターベースドラムスキーボードパーカッション」による6人編成と同じという所以もある。この当時、既にセミプロとして活動していた野沢は当初バンドへの参加を断り続けていたが、「コンクール出場が決定した際になってから、突如参加表明をした」という経緯があった。冗談であるもののこの後メンバーによって「知らない間に野沢がメンバーに加わっていた」「現在も正式メンバーではない」ともいわれている[5]。この頃には頭部分の「桑田佳祐 &」が取れ、グループ名がサザンオールスターズとなる[3][6]。なお、原の著書によればこの頃に一度だけ「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。公式ページではこの1972年から1977年までを「夜明け前」と呼称している。

当初は独特かつ奇抜なその音楽性が敬遠され大手の事務所はサザンを敬遠していたが、当時新興事務所であったアミューズ大里洋吉社長(当時)が「フォークソングの時代は終わり、これからはロックの時代が来る」という判断の下でスカウトしたが、メンバーの大里に対する第一印象はあまり良いものではなかったという。また大森と大里がデビューにむけて着々と準備を進めるなか、焦ったためか桑田がワーナー・パイオニアとレコード契約を結んでしまったというエピソードもあるが、この件は関係者が出向いて話を収めたという。

デビュー

1978年6月25日シングル勝手にシンドバッド」でビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)からデビューし、それまであった歌謡曲ロックなどのジャンルにとらわれない衝撃的な印象を残す。事務所側はこのデビューに際し、フォークシンガーを中心に「テレビ出演の拒否」をする風潮が強い中あえて音楽番組に積極的に出演させるほか、ドラマ・CM等のタイアップを中心にお茶の間層の取り込みを狙う戦略を取った。

だが、当初は桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言[7][8](ただし、これらの発言は「台本によるもの」と後年に明かしている[9])、ジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイル(桑田によると、事務所から衣装代として1万円が渡され、たまたま入ったスポーツ用品店の店員が「まけてくれる」と言ったことから、なんとなく着ただけであるとのこと[10])、歌番組では史上初めてと言われる歌詞テロップ表示[11]、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などからコミックバンドと評される向きもあった[3]

年内にはこの「勝手にシンドバッド」がスマッシュヒットしたことでスターダムにのし上がったものの、この曲のヒットによって「次のシングルでのヒット」も確約せざるを得ない状況になり、桑田は山中湖のレコーディングスタジオで「曲作りのための“缶詰状態”」にされるなど、事務所やレコード会社からのプレッシャーを受けながら多忙な生活を送り「ノイローゼになるほどだった」と後に語っている[1]。この精神状態の中から生まれたのが2ndシングル「気分しだいで責めないで」であった。

「いとしのエリー」の発表、音楽製作への専念

翌年3月25日、3rdシングル「いとしのエリー」を発表。レコード会社との間で「3枚目のシングルまで同系統の楽曲を発表する」という旨を話し合い、後の4thシングルとなる「思い過ごしも恋のうち」が発売されることも半ば内定していたが、桑田曰く「メンバーは飽きちゃってた」「(ビートルズの)『レット・イット・ビー』のレコーディング風景が頭にあって、あんな音楽が出来たらいいと思った」ことから予定を変更。この曲の発表で「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした[12]

そのような中、1980年に“FIVE ROCK SHOW”と銘打った計画を開始[13]。「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのか、どれも「ヒット」と呼ぶには至らなかった。この間の1981年発売の12thシングル「Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)」は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している[14]通り、アルバムは毎回チャート上位を獲得するもののシングルは売り上げが低迷する状態が続いた。

「チャコの海岸物語」 - 大作『KAMAKURA』の発表 - ソロ活動へ

1982年1月21日に14thシングル「チャコの海岸物語」を発表。桑田曰く「グループ・サウンズのパロディ」であったり、当時人気絶頂であった田原俊彦色を意識して歌ったりと起死回生を賭けた開き直りの歌謡曲だった[15]。この直後桑田と原は結婚を発表し、TBS音楽番組ザ・ベストテン』などでも祝福され、結婚式にはファンを呼ぶなど公私共に祝事が続いた。

1985年にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。数回の発売延期を重ねつつも長期間のレコーディングセッションの中で生まれたこの濃密なアルバムには、サザン史上最高のアルバムだという声もある[1]佐野元春から声がかかり「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演した。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。

活動再開 - 小林武史とのコラボ

1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。加えてこのシングルから小林武史アレンジプロデュース業を共に行うようになっている。前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており[16]、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。

この時期から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマーマニピュレーター+レコーディングエンジニア」という図式が見られるようになり[17]、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた[18]

1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31thシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。「涙のキッス」はTBSドラマずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した[19]

1993年には32thシングル「エロティカ・セブン」がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録[20]。そんな中1994年には桑田がソロ活動を再開し、サザンの活動は約1年間休止となった。

セルフアレンジ時代へ

小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており[21]蜜月の終わりを示唆している。この「危ないヤツ」という表現は人間性を否定しているものではなくアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである[21]。その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林と桜井和寿(Mr.Children)が中心となって活動するap bank fesへの出演など作品面以外での交友が続いている。

1995年に関口が長期の休養から復帰し、5月22日に35thシングル「マンピーのG★SPOT」で活動を再開。これ以降プロデュース名義は主にサザンオールスターズと表記されるようになった。直後に発売された36thシングル「あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜‎」はフジテレビの「月9」枠ドラマいつかまた逢える」の主題歌として起用されミリオンセラーとなる。次の37thシングル「愛の言霊 〜‎Spiritual Message」でもミリオンセラーとなり、アルバム『Young Love』は過去最高のアルバム売り上げを記録した。

しかし1997年あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠いハードロックなどを意識した曲を多くリリースするようになり、ライトファン離れが急激に加速していった。1998年にはベストアルバムリリースブームの中、ベストアルバム『海のYeah!!』を発売し、大ヒットを記録した。しかしほぼ同時に発売したオリジナルアルバム「さくら」は暗い作風や上記のハードロックを意識した作品であったため、過去のアルバム3作連続で記録したミリオンを僅かに下回る結果となった。1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したが、43thシングル「イエローマン 〜‎星の王子様〜‎」は累計で10万枚を(オリジナル盤)下回る結果となった。

「TSUNAMI」記録的ヒット、大森の独立

1999年9月26日27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ「可愛いミーナ」の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌2000年1月26日に44thシングル「TSUNAMI」を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。以降サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。

サザンのシングルでは久々となった切ないラブバラードのこの曲は、当時大人気だったTBS系バラエティ番組ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり大ヒットした(再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングルランキングで3位に、シングルCDとしては現在1位にランクインされている)。かねて何度も逃した日本レコード大賞もこの年に獲得した。今作を機にサザンは長らく続いたセールス低迷から脱け出し、続く45thシングル「HOTEL PACIFIC」もヒットし、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『茅ヶ崎ライブ ~あなただけの茅ヶ崎~』を行った。

一方そのライブが終了した直後に大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。桑田はシングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンセラーを達成した。

25周年での活動再開、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム発表

2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げ発売から25年のブランクを置いてオリコンウィークリーチャートで1位を記録。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど幅広い人気を見せつけている。

7月23日、47thシングル「涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎」をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い復活をアピールした。2005年には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売、2006年にはTHE 夢人島Fes.を開催しサザンオールスターズとしてもプロモーションのため精力的に活動したが、2007年4月には桑田佳祐のソロ活動再開に伴い再び休止することとなった。

30周年、そしてバンド活動無期限休止

2008年、30周年に伴う53thシングル「I AM YOUR SINGER」の発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降メンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべくサザンオールスターズとしての活動を無期限休止にすることも発表した(2006年のTHE 夢人島 Fes.を最後に実質的にサザンとしての活動は行われていなかったものの、この間を活動休止期間と定めていない)。期限を設けない活動休止は原の出産・KUWATA BANDの活動などがあった1985年 - 1986年(活動休止は1988年夏まで)以来2回目のことである。

この活動休止については発表の当日にNHKテレビの『おはよう日本』がこのニュースを報じた他、民放各局で大々的に取り上げるなど日本のミュージシャン・ユニットの話題としては異例の報道や特集がなされ反響を呼んだ。桑田自身は『活動休止の理由はより新しいものをつくるための充電期間』としている。また、『(キラーストリートで)現状でのサザンでできることのほぼすべてをやりつくした』『今のままでも活動を続けようと思えばできるが、それではサザンという看板にぶらさがっているだけで、甘えているだけになってしまう』とも語り、『(サザンの)解散は絶対にない』と断言している[22]




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  1. ^ a b c d e f g 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』TOKYO FM 出版、2005年。
  2. ^ あの時、あの歌 第五十二回 勝手にシンドバッド
  3. ^ a b c d e 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評21『教科書が教えない サザンオールスターズ&桑田佳祐ヒストリー』宝島社、2003年。
  4. ^ 日本テレビおもいッきりイイ!!テレビ』「きょうは何の日」2008年6月25日放送回。
  5. ^ロック怪獣サザン伝説TBSテレビ、1992年。
  6. ^ YAMAHA EVENT HISTORY内 EastWest'77
  7. ^ TBSテレビザ・ベストテン1978年8月31日放送回。
  8. ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン 〜蘇る!80'sポップスHITヒストリー〜』角川インタラクティブ・メディア、2004年。
  9. ^ スペースシャワーTV内インタビューによる。2008年。
  10. ^ 日本テレビ放送網『Music Lovers2008年8月10日放送回
  11. ^ フジテレビジョン夜のヒットスタジオ1978年7月31日放送回。
  12. ^ サザンオールスターズ公式サイト STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!内プロフィール
  13. ^ サザンオールスターズ公式サイト STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!内バイオグラフィー 1980年
  14. ^ 『SINGLE CHART-BOOK COMPLETE EDITION 1968〜2005』オリコン・エンタテインメント、2006年。
  15. ^歌のトップテン日本テレビ放送網、1990年。
  16. ^ 『素敵な夢を叶えましょう』角川書店、1999年。
  17. ^ アルバム『Southern All Stars』1990年、『世に万葉の花が咲くなり』クレジットより。
  18. ^ 桑田佳祐『アコースティック・レボリューション』にて、1991年
  19. ^ 日本レコード協会公式サイト内 年度別ミリオンセラー一覧 1992年度
  20. ^ 日本レコード協会公式サイト内 年度別ミリオンセラー一覧 1993年度
  21. ^ a b 『別冊カドカワ』角川書店、1996年。
  22. ^ サザン来年から活動休止、解散は否定 nikkansports.com
  23. ^ 2008年8月7日スポーツ報知「[サザンの軌跡と奇跡]〈7〉お茶の間衝撃 ザ・ベストテン出演」
  24. ^ a b c d e 厳密にはサザン名義のオリジナル・アルバムではないが、現在は公式に10作目のスタジオ・アルバムとされている。
  25. ^ ビクターエンタテインメントとアミューズによる新会社を設立 日本ビクタープレスリリース 2006年12月22日発表
  26. ^ a b c d 松田の急病によって順延された公演の振り替え。1月2日公演から順に、12月16日12月17日12月19日12月20日の振り替え公演となっている。
  27. ^ 台風により順延された9月22日公演の振り替え。
  28. ^ a b c d e アルバム『キラーストリート』初回版ブックレットより。2005年


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