コラソン・アキノ政権(1986年-1992年)
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詳細は「コラソン・アキノ大統領時代(英語版)」を参照 エドゥサ革命と共にコラソン・アキノの権力掌握は、フィリピンの民主主義回復の画期となった。アキノは直ちに状況を正常化する革命政府を樹立し、市民的自由を回復しバタサンパンバンサ(英語版)を廃止し全公務員を解雇するマルコスの根深い官僚主義を廃止する移行期の「自由憲法」に備えた。アキノ政権は同様に1987年2月に承認され施行される新しい永続的な憲法を提出する憲法委員を任命した。憲法はコルディリェラ行政地域やイスラム教徒ミンダナオ自治地域の自治地域を創設することを提案しながら戒厳令を宣告する大統領権限を損なわせ、政府の大統領体制と上下二院制の議会を回復した。 進行は民主的組織と自由権への敬意を蘇らせることで行われたが、アキノ政権は弱く手に負えないとも見られ、完全な政治的安定と経済発展への回帰は、フィリピン軍の不満分子が企てた数度のクーデター計画に邪魔された。アキノは水道や電気のような公益企業体の多くを民営化した。この政策は政府の統制権を失いながらアメリカ合衆国の大企業同様に寡頭政治にアキノが迎合したものと多くの人から見られた。 経済成長は加えて一連の自然災害で損なわれた。1991年6月、600年間の休止状態の後で中部ルソン地方のピナトゥボ山が噴火した(英語版)。20世紀で2番目に大きい火山噴火であった。700人が死亡し、20万人が家を失い、地球の気候を1.5 °C下げた。 1991年9月16日、アキノ大統領によるロビー活動にもかかわらず、フィリピンの元老院は、国内のアメリカ合衆国軍基地の10年間の延長を認める条約を批准しなかった。アメリカ合衆国は11月に政府にパンパンガ州のクラーク空軍基地を1992年12月にサンバレス州のスービック海軍基地を返還し、ほぼ1世紀にわたるフィリピンにおけるアメリカ合衆国軍の存在に終止符を打った。
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