アヤラ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 16:24 UTC 版)
「バスク系フィリピン人」の記事における「アヤラ家」の解説
バスク地方のアラバ県にルーツを持つソベル・デ・アヤラ家によるアヤラ財閥はフィリピン最古かつ最大の財閥であり、フィリピン最古の銀行であるフィリピン諸島銀行(英語版)(BPI)、不動産のアヤラ・ランド、マニラ・ウォーター・カンパニー、フィリピン最大の携帯電話企業であるグローブ・テレコム(英語版)、ヌエバ・カセレス大学(英語版)(UNC)などを内包している。フィリピンのウォール街と呼ばれ高級住宅街としても知られるマニラ首都圏のマカティには、アヤラ・センター(英語版)と呼ばれる商業地区に高層ビルやショッピングモールが建設されている。 アヤラ財閥の中核企業であるアヤラ・コーポレーションは、1834年にドミンゴ・ロハスが設立したロハス商会に遡る。ロハスの娘婿であるアントニオ・デ・アヤラが1876年にアヤラ商会と改称し、アントニオ・デ・アヤラの長女がハコボ・ソベルと結婚したことでソベル・デ・アヤラ家となった。一方でアントニオ・デ・アヤラの次女はペドロ・ロハスと結婚し、ペドロ・ロハスの家系はソリアノ財閥を形成している。第二次世界大戦でマニラが壊滅的な打撃を受けたため、アヤラ家はマニラに隣接するマカティの開発に着手し、住宅街、オフィス街、商業地区、大規模ショッピングモールなどを次々に建設していった。1968年には8代目のエンリケ・ソベル・デ・アヤラがアヤラ商会をアヤラ・コーポレーションに改称し、株式会社化を行った。1972年にフェルディナンド・マルコス大統領が財閥解体を唱えた際には、大統領に協力することで打撃を回避した。1974年には日本の三菱グループの資本参加を受け入れ、農水産業、製造業、貿易業などにも事業を拡大し、アヤラ家はエンリケの時代に急成長した。 1983年にはハイメ・ソベル・デ・アヤラがエンリケの後を継ぎ、コラソン・アキノ政権(1986年-1992年)を支持したことで、ハイメは事実上の大統領経済顧問を務めた。2006年にはハイメの長男であるハイメ・アウグスト・ソベル・デ・アヤラ(ハイメ・ソベル・デ・アヤラ2世)が後を継いでいる。アヤラ家の当主はしばしばフォーブス誌による世界長者番付に名を連ねており、2015年版のフィリピン長者番付においてハイメ・ソベル・デ・アヤラは第8位にランクインした。アヤラ家はもっとも著名なバスク系フィリピン人の家系であるが、Ayalaという姓にバスクの名残を残す以外にはバスク人意識を失っているとされる。
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