グラン‐ツール【(フランス)Grands Tours】
グランツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 01:18 UTC 版)
グランツール(英: Grand Tour、仏: Grands Tours、伊: Grande Giro、西: Grandes Vueltas、蘭: Grote Ronde)は、ヨーロッパで開催される自転車のプロロードレースのうちジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称である。三大ツールともいう。
- ^ 『2019ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムを開催します』(プレスリリース)さいたま市、2019年4月15日 。2019年10月9日閲覧。8ページ参照。
- ^ ジャック・アンクティルが確立したとされる
- ^ 詳細は1961年から1982年頃までのツール・ド・フランス各年度の項目を参照。
- ^ 例えばツールでしばしば山岳ステージで登場するラルプ・デュエズは登坂距離15.5kmで平均勾配7.9%、最大勾配11.5%【山岳チェック】第16ステージ、ラルプ・デュエズ、モン・ヴァントゥは登坂距離21.1km、平均勾配7.6%、最大勾配10.6%コースプロフィール。これに対し、2007年のジロで登場したゾンコラン峠は登坂距離10.1km、平均勾配11.9%、最大勾配22%コースプロフィール、2008年の第16ステージ山岳個人TTで登場したプラン・デ・コロネスは登坂距離12.85km、平均勾配8.4%、最大勾配24%、さらに後半5kmは未舗装路になっているコースプロフィールなど、登坂距離は短いものの勾配の厳しい山岳が多く登場する。
- ^ 2001年、2003年のジルベルト・シモーニ、2004年のダミアーノ・クネゴなど近年もピュアクライマーとされる選手が総合優勝した例がある。シモーニをクライマーとしている記事の例 クネゴをクライマーとしている記事の例
- ^ ちなみにジロ・デ・イタリアで山岳賞が設けられたのは1933年。ツール・ド・フランスも同年に最初に山岳賞が設けられたが、開催時期の点でグランツールにおける最初の山岳賞制定はジロ・デ・イタリアということになる。初代山岳賞受賞者はアルフレッド・ビンダであるが、同時に5度目の総合優勝を達成。過去4回の総合優勝を達成した際にも山岳コースでは圧倒的な強さを示している。
- ^ 2008年第16ステージに設定された長さ12.9km、最大傾斜24%の個人TT。2009年第17ステージ、途中に1つ大きな下りがあるがほぼスタート~ゴール間83kmが上りのみという日も登場。
- ^ 2009年の総合優勝者アレハンドロ・バルベルデは第1ステージの個人TTでは1秒先着しているが、他2つの個人TTで2位サムエル・サンチェス、3位カデル・エヴァンスにかなりの差をつけられている。
- ^ 同一年度における全グランツール完走を達成する選手自体が、年に1名か2名いるかどうかである。2011年のブエルタから2018年のジロまでグランツール20大会連続完走を果たしているアダム・ハンセンは「鉄人」の愛称で親しまれている。
- ^ a b c 2005年のブエルタの総合首位は当初ロベルト・エラスだったが、レース後行われたドーピング検査の結果失格となり、同2位のデニス・メンショフが繰り上げ優勝となった。ただし、2012年12月21日、スペイン最高裁判所は、ドーピング検査の手続きに不適切があった、というエラスの訴えを認め、2005年のブエルタ優勝の剥奪処分を取り消し、再びエラスを優勝とする判決を下している。(検査手順不備によりエラスの処分が撤回 2005年ブエルタ総合優勝のタイトルが戻る - シクロワイアード2012年12月22日付。)これに基づけばエラスの総合優勝回数は4回、メンショフは2回となる。
- ^ この年はチーム単位で優勝を争う方式で開催され、アタラ・ダンロップがチームとして優勝。個人優勝表彰としてはカルロ・ガレッティ 、ジョヴァンニ・ミケレット、エベラルド・パヴェージの3人が対象。したがってカルロ・ガレッティがジロ・デ・イタリア史上初の総合3連覇を達成した形となる。
- ^ 後日自身の口から当時禁止薬物を使用していたという告白がなされ、それに基づき国際自転車競技連合(UCI)がマイヨジョーヌの返還を求めている。当該記事
- ^ a b c d e f g ドーピング違反より抹消。
- ^ 当初総合1位だったフロイド・ランディスから多数の禁止薬物が検出されたことからランディスの総合優勝は保留とされ、その後公聴会などの調査が続けられた。1年以上に亘る調査の結果、2007年9月20日に「アメリカ合衆国反ドーピング機関」(USADA)が後日ランディスの総合1位記録を取り消し、21日には、UCIが正式にランディスの失格とオスカル・ペレイロの優勝を認定し優勝が決定。同年10月15日に総合ディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与された。当該記事
- ^ フアン・ホセ・コーボの総合優勝はドーピング確定により取り消され、総合2位だったフルームの繰り上げ優勝となった。コボのアンチ・ドーピング違反処分が確定し、ブエルタ・ア・エスパーニャ2011はフルームが繰り上げ総合優勝 - cyclesports.jp 2019.07.18
グランツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 09:28 UTC 版)
「ファビアン・カンチェラーラ」の記事における「グランツール」の解説
ツール・ド・フランス 通算8勝2004年1勝(プロローグ) 2007年2勝(プロローグ、第3) 2008年1勝(第20ITT) 2009年1勝(第1ITT) 2010年2勝(プロローグ、第19ITT) 2012年1勝(プロローグ) ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算3勝(うち1勝はチームタイムトライアル)2009年2勝(プロローグ、第7ITT) 2011年1勝(第1TTT) グランツールはキャリアで21度出場しているが完走は7度のみ、2011年のツール以降は9レース連続で途中棄権しており一度も完走することなく引退した。
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グランツール
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「アルベルト・コンタドール」の記事における「グランツール」の解説
2011年のツール・ド・フランスでは、第1ステージの落車で1分以上のタイムをロスしたものの、当初は「ちょうど良いハンデキャップなのではないか」という声もあった。しかし、最初のピレネー山岳ステージとなった第12ステージで優勝候補達から遅れを取ると、ジロの疲れから回復し切れていないことが明らかとなった。アルプスに入った16、17ステージでアタックして遅れを多少取り戻したものの、ガリビエ峠にゴールする第18ステージでは再びカデル・エヴァンス等から遅れ、最終的には総合5位で終わり、出場グランツール連勝記録は途絶えた(後に2012年2月にドーピング違反が認定により2011年1月25日から出場停止処分が適用されたことで順位も剥奪された)。 なお、2011年シーズンはツール・ド・フランスをもって活動を終了することになった。
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グランツール
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「2008年のスポーツ」の記事における「グランツール」の解説
ジロ・デ・イタリア:5月10日〜6月1日 総合優勝・・・アルベルト・コンタドール( スペイン)89時間56分49秒 ポイント賞・・・ダニエーレ・ベンナーティ( イタリア) 山岳賞・・・エマヌエーレ・セッラ( イタリア) 新人賞・・・リカルド・リッコ( イタリア) ツール・ド・フランス:7月5日〜27日 総合優勝・・・カルロス・サストレ( スペイン)87時間52分52秒 ポイント賞・・・オスカル・フレイレ( スペイン) 山岳賞・・・ベルンハルト・コール( オーストリア) 新人賞・・・アンディ・シュレク( ルクセンブルク) ブエルタ・ア・エスパーニャ:8月30日〜9月21日 総合優勝・・・アルベルト・コンタドール( スペイン)80時間40分08秒コンタドールはこの優勝により、史上5人目となる、グランツール完全制覇を達成した。 ポイント賞・・・フレフ・ファンアヴェルマート( ベルギー) 山岳賞・・・ダヴィ・モンクティエ( フランス) コンビネーション賞・・・アルベルト・コンタドール( スペイン)
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