梳綿
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- ^ 糸種カテゴリー:ロービング糸
- ^ A. P. Wadsworth and J. de L. Mann, The Cotton Industry and Industrial Lancashire (Manchester University Press 1931), 419-448.
- ^ 奥山修平の『技術史千一夜物語』 アークライトの水力紡績機 2007.12.15.閲覧
- ^ R. S. Fitton and A. P. Wadsworth, The Strutts and the Arkwrights 1758-1830: a Study in the Early Factory System (Manchester Univ. Pr. 1958), 65-80.
- ^ J. Geraint Jenkins, The Welsh Woollen Industry (Cardiff 1969), 33-4.
カード機
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「リチャード・アークライト」の記事における「カード機」の解説
1748年、ルイス・ポール(英語版)が梳綿用機械(カード機)を発明。アークライトはそれに改良を加え、1775年に特許を取得している。それは収穫した綿花を梳いて繊維の揃った塊にする機械で、その塊から糸を引き出して紡績を行う。アークライトとジョン・スモーリーはノッティンガムで馬を動力源とする小さな工場を創業。事業拡大にはさらに資金が必要だったため、ジェデディア・ストラット(英語版)とサミュエル・ニード(非国教徒の裕福な靴下製造業者)と組むことにした。1771年、彼らはクロムフォード(英語版)に世界初の水力を使う工場を建設し、熟練工を集めて操業を開始した。アークライトは機械の完成までに12,000ポンドを費やし、カード機から木綿の塊を取り除くための機構も装備した。梳綿と紡績の全工程を機械化すると、スコットランドなどイギリス各地に綿糸工場を作りはじめた。この成功を見て真似をする者が続出したため、1775年に取得した特許の施行に苦労することになった。彼の紡績機はジェームズ・ハーグリーブスのジェニー紡績機に比べて技術的に大きく進化しており、操作にあまり訓練を必要とせず、織りの際に経糸(たていと)に使えるほど強い糸を製造できた。サミュエル・クロンプトンはこれをさらに改良したミュール紡績機を発明している。 その後アークライトは故郷のランカシャーに戻り、チョーリー(英語版)のバークエーカーの工場を借りて操業を始め、それが産業革命においてその町が重要な役割を果たす触媒となった。 1774年にはその工場で600人の従業員を雇うようになり、さらにその後5年間で各地に工場を増やしていった。スコットランドにも招かれ、そこで綿糸産業の確立に尽力している。しかし1779年、バークエーカーの新工場は機械化に反対する暴動によって破壊された。アークライトの1775年の特許は急成長している産業における独占を可能にする包括的なものだったが、ランカシャーでは独占的な特許権に反対する世論が大勢を占めていた。1777年、ダービーシャーワークズワース(英語版)のハールレム工場(英語版)を借りて綿糸工場として操業。この工場は綿糸工場として初めて蒸気機関を設置したが、これは工場の機械を直接駆動するのではなく、水車のための貯水池に水を汲み上げるのに使われた。 アークライトが操業したもう1つのマッソン工場は、当時高価だった赤レンガで作られていた。 アークライトは攻撃的で尊大な性格であり、共に働くには気難しい男だった。パートナー全員から権利を買い取り、マンチェスター、マットロック、バース、ニューラナークなどに工場を建設。当時の起業家の多くは非国教徒だったが、アークライトは国教徒だった。
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