カルロス4世とマヌエル・デ・ゴドイの寵臣政治とは? わかりやすく解説

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カルロス4世とマヌエル・デ・ゴドイの寵臣政治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 14:22 UTC 版)

スペイン・ブルボン朝」の記事における「カルロス4世とマヌエル・デ・ゴドイの寵臣政治」の解説

1788年カルロス3世死去し息子カルロス4世王位継いだカルロス4世の弟フェルディナンドは父のスペイン王即位時にナポリおよびシチリア王位継いでいる)。カルロス4世体格だけが立派な暗君とも言える人物であった。そのカルロス4世即位早々にして直面したのが、1789年起きたフランス革命である。筋金入り反革命主義者であったカルロス4世は、国内啓蒙主義者取り締まるとともに最初にフロリダブランカ伯爵を、次にアランダ伯爵登用したが、いずれも期待にそぐわなかったので罷免した。代わって1792年宰相抜擢されたのが、25歳マヌエル・デ・ゴドイであったゴドイは元は一介近衛兵に過ぎなかったが、カルロス4世の妃マリア・ルイサ・デ・パルマ愛人となり、急速に台頭した(ただし、近年ではこの説に異論出ている)。ゴドイ宰相となった翌年に、フランス王ルイ16世処刑された。この報に憤激したカルロス4世ゴドイは、イギリスの首相小ピット提案した第一次対仏大同盟スペイン参加させ、フランス向けて軍を発した反革命戦争逆にフランス侵入招き加えて国内では身分の上下を問わず革命思想浸透することになった結局スペイン疲弊フランスで穏健派台頭により、1795年バーゼル講和条約締結された。ゴドイは、この功績により「平和公」の称号得た。そして1796年サン・イルデフォンソ条約結ばれてフランススペインの軍事同盟成立した。だが、これはスペインの植民地狙っていたイギリス侵入好機与えジブラルタルトリニダード島奪われた。窮地陥ったゴドイ啓蒙改革派登用することで打開図ったが、国内啓蒙改革派フランス圧力によって失脚させられ新たにホベジャーノス(スペイン語版英語版)が政権を担うことになったその頃フランスでは1799年ナポレオン・ボナパルト政権掌握したブリュメールのクーデター)。ゴドイナポレオン取り入り1800年復帰する権力の座戻ったゴドイ徹底的に反動政治を行うなど、権威振るったが、これはナポレオン傀儡化したことを意味していた。それを象徴するのが、ナポレオン皇帝となった1805年起きたトラファルガーの海戦である。この海戦フランスと共に参加したスペイン主力艦隊は、ホレーショ・ネルソンによって完膚なきまでに叩きのめされた。 ゴドイ専横に対して国内自由主義者たちは苦々しく思いアストゥリアス公フェルナンド王子の下に集結したゴドイひたすら寵愛する父母幻滅したフェルナンドもこれに同調し両者1807年クーデター企てる。それ自体失敗終わったが、人々からの支持大きかった。そしてフェルナンド自由主義者に再び好機訪れたナポレオン大陸封鎖令違反したポルトガルを討つために、フランス軍スペイン送ったその際カルロス4世ゴドイナポレオンと共にポルトガル分割することを約束したが、むしろフランス行為脅威思い密かに脱出しようとした。これを好機とした自由主義者1808年クーデター起こしゴドイカルロス4世失脚させた。フェルナンドフェルナンド7世として即位したが、カルロス4世退位撤回し両者ナポレオン裁断仰いだナポレオン両人を捕えて、自分の兄ジョゼフスペイン王就けた。こうしてブルボン朝最初中断迎えた

※この「カルロス4世とマヌエル・デ・ゴドイの寵臣政治」の解説は、「スペイン・ブルボン朝」の解説の一部です。
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