オーストロネシア比較言語学の観点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 04:30 UTC 版)
「日本語の起源」の記事における「オーストロネシア比較言語学の観点」の解説
オーストロネシア比較言語学は、1938年、ドイツのオットー・デンプヴォルフによって基礎が確立された。祖語が再構されたことにより、古代日本語とオーストロネシア諸語(南島諸語とも)の比較を行う前提条件が整い、音韻体系や語彙に関する類似が指摘された。しかし、いまだ系統関係は実証されたとはいいがたく、逆に従来指摘されていた類似性が必ずしも成り立たないことも判明してきた。例えば上記の「(粳)ウルチ」の例では、現代インドネシア語で「粳」は「ブラス」に類似した発音であるが、祖語に遡れば、むしろ「ブハス」に近い発音であった。またポリネシア諸語の母音終わりの特徴も、子音終わりを許す祖形からの発展である事が証明された。 再構されたオーストロネシア祖語と上代日本語の比較を初めて組織的に行ったのは、言語学者の泉井久之助である。泉井は約50語を取り上げて音韻対応則の検討を行ったが、日本語とオーストロネシア語の系統的な関係については懐疑的であり、両者間の類似語の存在は借用によるとみなした。 日本語とオーストロネシア諸語が系統関係にある可能性を指摘したのは、ロシアの言語学者、E. ポリワーノフである。ポリワーノフは、日本語の接頭辞がオーストロネシア諸語起源と考えられる事、日本語のピッチ(高低)アクセントや、重複形による強調表現などがフィリピンのタガログ語やメラネシア語と類似している事などを指摘し、日本語がオーストロネシア諸語と系統的な関係にあることの証明を試みた。 また、オーストロ・タイ語の研究で世界的に知られるポール・K・ベネディクトは、晩年に日本語とオーストロネシア語を同系とする論を発表した。
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