オリンピック輸送の完遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:37 UTC 版)
「川中島バス」の記事における「オリンピック輸送の完遂」の解説
長野オリンピックを目前にした1997年10月1日、北陸新幹線の先行開業と同時に、長野から白馬・大町を結ぶ特急バスの運行を開始した。これは、白馬長野有料道路の開通や一般道路の改修などが行われたことを機に、1995年から季節運行が行われていたものである。 それまで、東京から白馬・大町へは中央本線と大糸線を利用するのが常識であった。しかし、長野と白馬・大町が所要1時間程度で結ばれるようになると、乗り換え時間を含めなければ東京からわずか3時間以内で白馬・大町に到達できるようになり、大糸線沿線の交通流動を一変させるものとなった。長野オリンピックが終了する頃には、新幹線利用で長野を経由するルートが東京から白馬・大町地区へのメインルートとなりつつあった。 長野オリンピックでの輸送は、川中島バスが中心となってあたることになった。期間中は延べ16000台にも及ぶ大規模な輸送が行われることになったが、グループ内や長野県内の同業他社からの支援、さらにジェイアールバス東北と西日本ジェイアールバスから乗務員の臨時派遣を受けることで、必要な輸送を完遂した。さらに、長野パラリンピックの選手輸送においては、東京都交通局から運行開始前のノンステップバスを借り受け、都営バス色のままで川中島バス・長野電鉄・松本電鉄の3社により運行した。 2000年、アルピコグループでは貸切バス事業の効率化と営業力強化のため、アルピコハイランドバスを設立した。これにより、アルピコグループの貸切バス事業は、川中島バスに一部の貸切バスが残された以外は、全ての貸切バスが同社に集約されることになった。2001年1月には長野市周辺のバスにおいて、長野電鉄との業務提携を発表した。これはIC乗車カード導入などの将来的な事業において、共同歩調をとることを確認したものである。 2011年4月1日付けで、諏訪バスとともに親会社の松本電気鉄道に合併され、アルピコ交通となっているが、長年にわたり地域に親しまれたことや地元感情を踏まえ、旧社名の「川中島バス」も通称として残されている。
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