エルウェイの時代とは? わかりやすく解説

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エルウェイの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:56 UTC 版)

デンバー・ブロンコス」の記事における「エルウェイの時代」の解説

1983年のNFLドラフト全体1位でボルチモア・コルツ指名されジョン・エルウェイコルツ入団拒否ブロンコスQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年ドラフト1巡目指名引き換えエルウェイ獲得したチームそれまで23年間で24人ものQB起用するなど安定したQBを得ることができないでいた。 1984年にカイザーオーナーからパット・ボーレンにチーム所有権の60.8%を売却した。後にカイザーボーレンに対して法廷闘争行った敗訴している。 エルウェイチームを5回スーパーボウル出場(プレーヤーとして最多記録)させたが、最初3回全て敗れてチームミネソタ・バイキングス続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チームとなったエースQBエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームエルウェイ選びリーブスチームを去ることとなった1986年チーム11勝5敗でAFC西地区優勝果たしプレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場果たしたブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃ザ・ドライブとして知られる98ヤード同点ドライブオーバータイム持ち込んだニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れたストライキ短縮され1987年シーズンAFCトップ10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージ獲得プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破りクリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3リードしたが、反撃許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした第4Q終盤同点TD狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点ファンブル誘発し、38-33で逃げ切った第22回スーパーボウルでは第1Q10-0リードしたが、第2Q35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズ敗れた1988年は8勝8敗に終わりプレーオフ逃したが、1989年開幕から12試合10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウル選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った第24回スーパーボウルではジョー・モンタナスーパーボウル記録となる5TDパス合計8TDを許し、10-55で敗れた55失点45点差での負けそれぞれスーパーボウルワースト記録となった1991年シーズンヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインド迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウン追い込まれたものの、残り16秒で逆転FGにより26-24で勝利AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズ対戦した。この試合ディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイ投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードリターンTD許し7-10敗れた1992年シーズン終了後4年間で3度スーパーボウル出場果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった1994年シーズン終了後フィリップス解任され1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチ就任したRBテレル・デービスチーム加入した後、チーム1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージ獲得したプレーオフ初戦チーム創設2年目ジャクソンビル・ジャガーズ苦杯をなめさせられた。 翌1997年チームワイルドカードプレーオフ出場ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウル前年優勝グリーンベイ・パッカーズ対戦した下馬評ブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズ破り初優勝果たした。この試合エルウェイパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDラン決めている)がテレル・デービス157ヤード走りスーパーボウル記録3TDをあげてMVP選ばれた。 翌1998年プレーオフマイアミ・ドルフィンズ38-3ニューヨーク・ジェッツ23-10破り2年連続スーパーボウル出場果たし長年ブロンコスヘッドコーチをつとめエルウェイ指導していたダン・リーブス率いアトランタ・ファルコンズとの対戦した第33回スーパーボウルでは34-19で勝利しスーパーボウル連覇達成した38歳エルウェイはこの試合パス336ヤード獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパスTDラン決めてMVP選ばれた。エルウェイはこのシーズン現役引退した

※この「エルウェイの時代」の解説は、「デンバー・ブロンコス」の解説の一部です。
「エルウェイの時代」を含む「デンバー・ブロンコス」の記事については、「デンバー・ブロンコス」の概要を参照ください。

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