ウィンザー家への叙爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 01:37 UTC 版)
「プリマス伯爵」の記事における「ウィンザー家への叙爵」の解説
ウィンザー家はウィリアム・フィッツアザー(William Fitzother、1160年没)を祖として、スタンウェル荘園を擁してきた一族である。その一員アンドリュー・ウィンザー(英語版)(1467–1543)はカンブレー同盟戦争下のスパーズの戦い(英語版)を主導した騎士である。彼がウィンザー家の人間で最初に称号を得た人物で、彼は1529年にイングランド貴族の「バッキンガム州スタンウェルのウィンザー男爵(Baron Windsor, of Stanwell in the County of Buckingham)」として議会招集を受けている。 その息子の2代男爵ウィリアム(1498–1558)はヘンリー8世朝のベッドフォードシャー及びバッキンガムシャー代官を務めたのち、晩年は女王メアリー1世を支持した。 その子の3代男爵エドワード(1532–1574)もメアリー1世戴冠式に際して騎士に叙されたのち、第六次イタリア戦争下のセント・クエンティンの戦い(英語版)に参戦している。爵位はその子のフレデリックが継承した。 4代男爵フレデリック(1559–1585)は生涯未婚のまま死去したため、爵位は弟ヘンリーに継承された。 5代男爵ヘンリー(1562–1605)も父祖同様に国政に参与して、エリザベス1世朝の廷臣であるエセックス伯やサウサンプトン伯の処刑の是非を審議した。 その子である6代男爵トマス(1591–1642)が男子のないまま死去すると、爵位は彼の妹の間で停止となった。その後、1660年6月16日に甥トマス・ヒックマンに帰属する形でこの停止は解消された。トマスはその姓を母方のウィンザーに改めている。 7代男爵トマス(1627–1687)は王党派として活動して、ジャマイカ総督やウスターシャー統監(英語版)を務めた。彼は1682年12月6日に「プリマス伯爵(Earl of Plymouth)」に叙されたが、これが第2期の創設にあたる。彼以降は6代伯まで直系男子による継承が続いた。なお、初代伯の次男トマスも「ウィンザー子爵」に叙されて分家が誕生したが、この爵位はわずか2代で途絶えている。 6代伯アザー(1789–1833)が子のないまま没すると、男爵位はアザーの2人の妹(マリア及びハリエット)の間で優劣がつかず、爵位停止となった。他方、男子に継承を求める伯爵位は叔父アンドリュー(7代伯)が相続している。 しかし、7代伯の弟である8代伯ヘンリー(1768–1843)にも子がおらず、伯爵位は廃絶となった。一方で、停止していた男爵位は末妹ハリエットに帰属する形で1855年10月25日に解除された。彼女はウィンザー姓に復するとともに、その子ロバート(14代男爵)が第3期の叙爵を受けることとなる。
※この「ウィンザー家への叙爵」の解説は、「プリマス伯爵」の解説の一部です。
「ウィンザー家への叙爵」を含む「プリマス伯爵」の記事については、「プリマス伯爵」の概要を参照ください。
- ウィンザー家への叙爵のページへのリンク